飛鳥への旅(3)国指定史跡 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳
◎牽牛子塚古墳・越塚御門古墳
場所:奈良県高市郡 明日香村越
「またの名をあさがおづかともいう。貝吹山(210メートル)を最高点とする通称真弓丘と呼ばれる低い丘陵の一画にあり、檜前の皇陵、古墳群を望見できる景勝の地に位置する。国の史跡に指定されている。平成21年の調査で対辺長約22メートル高さ4.5メートル以上の八角形墳であることが判明した。内部は、巨大な一個の凝灰岩をくり抜いて左右二室に造った横口式石槨で、他に例をみないほど精巧に造られており、天井は緩やかなドーム状の曲面をなしている。この古墳も古く盗掘を受けている。大正3年の調査時に夾紵棺(きょうちょかん)の破片、七宝飾金具、ガラス製丸玉、人骨片などが検出された。被葬者は、川嶋皇子とも浅香王ともいわれたが、斉明天皇と間人皇女という説が有力である。石槨の構造、夾紵棺、古墳の位置等から天皇家を含めてその一族に連なる被葬者が推定される。終末期の古墳である。また隣接、南東側で刳り貫き式横口式石槨の越塚御門古墳が検出された。この越塚御門古墳の発見は、「日本書紀」天智6年の粂との関連が注目されている。」(明日香村web siteから引用)
資料へのリンク↓
https://asukamura.jp/files/bunkazai_kengoshi_panf_2.pdf
※2022年に八角墳が復元されたニュースを見てから訪問したかった牽牛子塚古墳に念願の訪問。近鉄飛鳥駅を見下ろすような丘の上に位置しており、ちょうど、近鉄線をはさんだ反対側の丘陵には高松塚古墳がある。ボランティアの方が越塚御門古墳の前で説明をしてくれて、よく理解できた。ほぼ天皇陵と推定されているが、宮内庁は認めていない。まあ、そのおかげで、石室の前まで自由に行けるのだけど。さすがに、ここまでは外国人観光客はこないようで、ゆっくりと見学できた。古代ロマンあふれるとは、こういうことだと満喫できた。
◎牽牛子塚古墳:奈良県高市郡明日香村越にある7世紀後期の八角形墳。対辺長約22m、高さ4.5m以上、三段築成。埋葬施設は、凝灰岩の巨石を刳り抜いて造られた横口式石槨。石室に2つの墓室。墓室開口部に二重の閉塞石。墓室から夾紵棺の破片や金銅製の棺金具(七宝亀甲形座金具、八花文座金具、六花文環座金具、円形座金具、綾隅金具)、鉄製の鎹、釘、ガラス玉などの玉類、歯牙などの遺物が出土。斉明(皇極)天皇とその娘の間人皇女の陵墓であるとの説が有力。
◎越塚御門古墳:奈良県高市郡明日香村大字越にある牽牛子塚古墳に隣接した古墳。牽牛子塚古墳の発掘調査時に発見された。一辺約10mの方墳。漆膜片、鉄製品などが少量出土した。『日本書紀』の天智天皇六年二月条に斉明天皇と間人皇女が埋葬された小市岡上陵とその陵前に大田皇女を葬ったとの記述があり、越塚御門古墳の埋葬者は大田皇女(天智天皇の皇女で斉明天皇の孫)と推定されている。