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東京都美術館 「デ・キリコ展」

デ・キリコ展会場のバナー

◎ デ・キリコ展
【会 期】2024年4月27日[土]~8月29日[木]
【会 場】東京都美術館
【主 催】 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、朝日新聞社
【後 援】 イタリア大使館、J-WAVE
【特別協賛】 大和証券グループ
【協 賛】 ダイキン工業、大和ハウス工業、竹中工務店、NISSHA
【協 力】 ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団、メタモルフォジ財団、イタリア文化会館、日本航空、日本貨物航空、ルフトハンザ カーゴ AG、ITAエアウェイズ
(以下、美術館公式web siteより引用)
「20世紀を代表する巨匠の一人、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。彼が1910年頃から描き始めた「形而上絵画」(幻想的な風景や静物によって非日常的な世界を表現する絵画)は、数多くの芸術家や国際的な芸術運動に大きな影響を与えました。
本展では、デ・キリコのおよそ70年にわたる画業を「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」などのテーマに分け、初期から晩年までの作品を余すところなく紹介。デ・キリコが描いた世界をたどる、日本では10年ぶりの大規模な個展となります。」

※ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)
Giorgio de Chirico
(以下、株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」より引用)
「イタリアの画家。20世紀はじめ,未来派の実験とともにイタリアで生まれた形而上絵画の代表的画家。ギリシアのボロスで生まれ,17歳よりミュンヘンの美術学校で絵画を学び,その間ニーチェの哲学思想およびベックリンやM.クリンガーの幻想的な絵画に影響されて,その絵画精神に神秘と不安のイメージを深めた。1908年フィレンツェに出てルネサンス絵画への追憶を加え,形而上絵画の基礎をつくる。パリ滞在ののち17年にフェラーラに戻ってC.カラと出会い,彼とともに〈形而上絵画〉を確立して急速にヨーロッパに知られるようになった。作風は無人の街の片隅や広場,地平線への広がりといった建築的要素が支配的であり,顔のないマネキン人形や謎にみちたオブジェがしだいに加わる。パリのシュルレアリストに与えた影響も大きい。しかし,キリコの真の形而上絵画はこのフェラーラ時代の数年に実現されたといわれ,21年以後は時々古典主義に戻ったり,多くはフェラーラ時代の主題をくり返すにとどまった」

ジョルジョ・デ・キリコ『不安を与えるミューズたち』(1950年頃:マチェラータ県銀行財団蔵)

会場のフォトスポットの画像より

★デ・キリコの好んで描いたモチーフの一つがマネキン。表情の無い顔、さらに空洞の胴体。こういうものを表情豊かな人物像を描くことが中心になっていた西洋絵画にインパクトを与えたのだという。そして、これがシュルレアリスムの画家たちに”先人”的な扱いを受け影響を与えることになったらしい。また、その流れはキース・ヘリングなどポップアートにまで影響を与えているという。

◎ジョルジョ・デ・キリコ『オデュッセウスの帰還』(1968年:ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵)

会場のフォトスポットの画像より

★一時期のデ・キリコは、形而上絵画から離れてルネサンス期の絵画やルーベンスなどバロック期の絵画に大きく影響を受けて、伝統的な絵画に戻った。やがて晩年になって、再び形而上絵画に戻るのだが、その時には、以前よりももっと自由な画面構成になっていった。上の作品も、イスのある室内といった従来と同じようなモチーフがあるものの、でーんとカーペットのように大海原が広がって船を浮かべている人までいる。彼は、ピカソたちのように技法の伝統からの離脱というより、モチーフ自体を誰も見たことのないものにするという意味で自由になりたかっということなのかもしれない。

◎ほぼ全てデ・キリコ作品で100点以上というボリューも内容も大満足な展覧会だった。日本の美術館での所蔵作品数が少ないのか、これまであまり生で見た記憶が少ないデ・キリコに、今回、一気にたくさん触れることができて幸せだった。



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