1000日チャレンジ 950日目 「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(若い読者のための科学史)CHAPTER 30 Into the Atom
ゴールまで50日
★BMI:22.7
★「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(Bynum, William著;Yale University Press;2012年)を原著で読み進める(全40章)
◎CHAPTER 30 Into the Atom
★主な内容
19世紀の物理学者の主な関心は、エネルギー、電気と磁気、熱の本質といったことだったが、気体のふるまいについて考えようとすると原子や分子についての理解が必要だった。原子論は現象の説明としては有用だったが、原子の本質について説明できていたわけではなかった。ケンブリッジ大学 キャヴェンディッシュ研究所教授J・J・トムソン( 1859-1940)は、1897年に陰極線管という単純な装置による実験から、電荷を帯びた「亜原子粒子」が存在し、その質量は水素分子よりもかなり小さいという説を唱えた。後にこれが「電子」として認識されることになった。
トムソンの弟子であったニュージーランド出身のアーネスト・ラザフォード(1871-1937)は、トムソンとともにウランが放出する2種類の放射線(α線とβ線)を発見 した。ラザフォードはこの放射線はウラン以外の元素も放出することも見出した。彼は薄い金属箔にα線をぶつける実験をした時に、ほとんどは素通りするのに、ときどき跳ね返ることがあることに気づく。そして、その時にα線が衝突したものは、金属箔を構成する原子の密度が高くなっている「核」の部分ではないかと考えた。彼は現在では「原子物理学の父」とされ、1908年にはノーベル化学賞を受賞している。
ラザフォードが育てた科学者の一人デンマーク出身のニールス・ボーア(1885~1962)はラザフォードの仮説をもとに「 ボーアの原子模型( 原子 構造論)」を作った。原子核の周りを太陽系の惑星のように電子が周っているというもので、原子核は正の電荷をもつ陽子で構成され、その重さが原子の重さに反映しており、負の電荷をもつ電子によって電荷のバランスが取れているというものだ。このモデルで化学者の疑問であった周期表における各元素のふるまいや原子価の違いによる反応性の違いも説明できた。
しかし、謎は残されていた。正の電荷をもつ陽子が原子核の中の近い位置になぜ存在し続けられるのか、陽子の重さだけでは周期表の元素のすべてを説明できないことなどである。前者を解くにはさらに時間を要したが、後者については、1932年にジェイムズ・チャドウィック( 1891‐1974)による中性子の発見によって説明できるようになる。同じ元素の原子なのに原子量が異なる「同位体」は中性子の数の違いとして認識することができた。この発見は「原子核分裂」とそれを応用した兵器開発につながることにもなる。原子物理学と量子物理学は20世紀の物理学の最先端になっていく。
★単語
momentous;重大な、cathode tube;陰極管、bounce;跳ね返る、the periodic table;周期表、qunatum physics;量子物理、complicated;複雑な、bombard;衝突させる、repulse;反発する
★フレーズ
swirl around;~の周りをついてまわる、
※アーネスト・ラザフォード;「Rutherford, Ernest;[生]1871.8.30. ニュージーランド,ネルソン;[没]1937.10.19. イギリス,ケンブリッジ;ニュージーランド生まれのイギリスの物理学者。ネルソン・カレッジを卒業。カンタベリー大学に学んだのち,1895年ケンブリッジ大学に留学,キャベンディッシュ研究所に入所。1898年カナダのマギル大学教授,1907年マンチェスター大学教授,1919年キャベンディッシュ研究所所長,1920年王立研究所教授を兼任。1923年イギリス科学振興協会会長,1925年ロイヤル・ソサエティ会長。電波検知器の考案,気体中のイオンによる電気伝導などの仕事ののち,1898年放射能の研究に転じ,α線,β線,γ線の別を明らかにし,1902年フレデリック・ソディとともに原子崩壊説を立てた。また 1906~09年にα線がヘリウムの原子核であることを実証。α線の金属箔による散乱の結果から有核原子模型を確立(→ラザフォードの原子模型)。1924年には原子核反応を実現した。物質構造の根本を明らかにしたことのほかにも,生涯を通じて有能な弟子の育成に励んだことなど,その功績は大きい。1908年ノーベル化学賞受賞。1914年ナイトの称号を贈られ,1931年初代ラザフォード・オブ・ネルソン男爵に叙せられた。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より引用)
◎いよいよ20世紀目前というところまできた。化学にしても物理学にしても、現在につながるような理解は意外と最近になってからのことなのだと、改めて気づかされる。