飛鳥への旅(1)奈良文化財研究所 飛鳥資料館 常設展
奈良文化財研究所 飛鳥資料館 常設展
奈良県高市郡明日香村奥山601
(以下、公式web siteより引用)
「飛鳥資料館は奈良文化財研究所の調査研究成果を展示するとともに、飛鳥を訪れた人びとが古代史について概観することができる、総合的な歴史系の博物館施設です。(中略)
現在、第1展示室は飛鳥の宮殿や水落遺跡の水時計、須弥山石等の石造物、高松塚古墳・キトラ古墳、飛鳥寺等の古代寺院に関する展示です。 1997年にオープンした第2展示室は、山田寺に焦点をあてています。出土した建築部材による東回廊再現展示は、当館の大きな魅力となっています。」
★数十年ぶりの飛鳥資料館。以前よりずっと洗練されたような。。まず庭園には様々な石造物の複製品がお出迎え。中に入ると重要文化財の石人像の原物。第1展示室では、高松塚、キトラなどの壁画や出土品が展示されている。第2展示室では、山田寺東回廊の復元と出土品の展示。どれもワクワクするものばかり。中学生の時にここを訪問して考古学者になりたいと思ったことを鮮明に思い出した。(今のところ実現はしていないが。)
◎石人像(石神遺跡出土:7世紀:飛鳥資料館蔵:重要文化財)
噴水の機能を持った花崗岩の石造物。斉明朝期の迎賓館の庭園に設置されていたと考えられている。
※石神遺跡(いしがみいせき):明日香村に位置する斉明朝,天武朝,藤原宮期の三時期の遺構が見つかった遺跡。掘立柱建物群や方形池などが見つかったほか、噴水機能をもつ須弥山石や石人像といった石造物が出土。服属儀礼や饗宴を行う飛鳥の迎賓館が存在していた可能性があるらしい。
◎山田寺跡出土品
※山田寺跡:「奈良県桜井市山田にある寺院跡。法号は浄土寺で,蘇我石川麻呂によって創建された。造営過程については《上宮聖徳法王帝説》裏書に詳しい。それによると,641年(舒明13)整地され,643年(皇極2)の金堂建立後,649年(大化5)石川麻呂は謀反の疑いをかけられ,金堂前で自害する。その後の建立は石川麻呂の孫娘鸕野皇女(のちの持統天皇)らの尽力によって進められた。676年(天武5)塔が完成し,講堂建立ののち,685年,後に旧山田寺仏頭と呼ばれる丈六仏が開眼し,1187年(文治3)丈六仏は興福寺東金堂に移る。山田寺は12~13世紀ころ,罹災によって廃絶したらしい。発掘調査などによって塔,金堂,講堂が中軸線上に並ぶ配置であることがわかったが,北面回廊が金堂と講堂の間を通る配置をとり,いわゆる四天王寺式の伽藍配置とするより,飛鳥寺式の東西両金堂を省略した形式としている。1982年東面回廊の一部を倒壊したままの姿で発掘した。山田寺から出土する軒丸瓦は蓮弁内に子葉をもつ八葉の単弁蓮華文で山田寺式軒丸瓦と称され,各地の寺院に影響を与えた。1952年に国の特別史跡に指定された。」(株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」より引用)
*柱(重要文化財)
*蓮華文鬼瓦(重要文化財)
*墨書土器(重要文化財)
*銅板五尊像(重要文化財)
※今回のお土産
キトラ古墳壁画図録、飛鳥資料館パンフ・入場券
※飛鳥資料館の庭園には飛鳥地区の様々な石造物の複製が展示されている。