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山梨県立美術館 特別展「山梨モダン 1912~1945大正・昭和前期に華ひらいた山梨美術」
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◎ 山梨モダン 1912~1945大正・昭和前期に華ひらいた山梨美術
【会期】2024年9月14日(土)~11月4日(月・振休)
【会場】山梨県立美術館 特別展示室
【主催】山梨県立美術館
【後援】NHK甲府放送局、山梨日日新聞社・山梨放送、テレビ山梨、テレビ朝日甲府支局、朝日新聞甲府総局、毎日新聞甲府支局、読売新聞甲府支局、産経新聞甲府支局、共同通信社甲府支局、時事通信社甲府支局、山梨新報社、日本ネットワークサービス、エフエム富士、エフエム甲府
【協力】山梨交通
(以下、美術館公式web siteより引用)
「大正時代は、自由や個人尊重を求めるデモクラシーの風潮や海外からの情報流通などを背景に、新しい芸術が一気に花開いた時代でした。そしてこのような時代の流れは山梨においてもさまざまな芽を育みます。
大正期の山梨では、県内初の洋画団体や岸田劉生に師事した土屋義郎による赤蓼会(あかたでかい)が結成され、甲斐美術会の洋画壇に結実しました。また二科会初の女性会友となり萬鉄五郎らと活動した埴原久和代や、フランスやアメリカに渡った石原美登利など女性洋画家も輩出しました。あるいは、大正期に青年時代を過ごした米倉壽仁は、古賀春江や福沢一郎から影響を受けてシュルレアリスムに傾倒しました。また戦前に没した手塚一夫や土橋芳次も、短い画業ながら鮮烈な印象を残しました。
一方、日本画においては、水墨画の近藤浩一路や新興大和絵の穴山勝堂の活躍のほか、大河内夜江、望月春江、古屋正壽ら山梨出身画家による昭和初期の帝展連続特選が日本画壇の話題となりました。
この他にも、岡田紅陽による富士山写真の撮影、浅川伯教・巧兄弟の朝鮮陶磁の見直しなど、この時期様々な芸術活動の展開が見られました。また戦時中に画家たちが各地の風物を描いたスケッチも貴重な資料と言えます。
本展では、大正から終戦期(1912~1945年)にかけての山梨ゆかりの芸術家たちの活動や当時の山梨の芸術的雰囲気を「山梨モダン」と呼び、関連する画家の作品や資料を併せて紹介いたします。」
リンク↓
https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/2024/1331.html
☆感想:今回の展覧会のお目当ては、米倉壽仁の作品。数年前に同じ山梨県立美術館で回顧展が開催されていたが、行くことができなかったが、今回、数点が出展されていると知って、いざ、甲府へ。”山梨出身”という切り口だけでも、日本の近代絵画史の一端を概観できるものなんだなぁと思わせる展覧会になっていた。
そして、展示の最後半に米倉壽仁の作品が。順番で言うと最初に、70歳を超えてからの作品『ジャン・コクトオの「夜曲」による』が眼前に。芸大卒の新進画家の作品ですと言われても騙されるかも、と思うほど現代性がある作品だ。その後は、1930年代の作品が並んでいる。初めましての作品も多く、見ごたえ十分な展覧会だった。
◎河内雅渓『昇仙峡之図』(大正~昭和前期:山梨県立美術館蔵)
★河内雅渓:1874-1943、日本画家。山梨県生。本名は菊太郎、別号に帰雲斎。上京して橋本雅邦に入門、東京美術学校に入学。岡倉天心・雅邦らの辞職を機に退校。日本美術院に入る。セントルイス万国博覧会で銀牌受賞。美術研精会・二葉会会員。
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◎石原美登利『不詳(風景)』(1929年:山梨県立美術館蔵)
★石原美登利:洋画家。山梨県生まれ。約20年間アメリカで過ごす。マリー・ローランサンに学ぶ。1927年、帝展入選。本作以外は作品が現存しないらしい。
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★米倉壽仁:1905-1994、「山梨県甲府市柳町に生まれる。名古屋高等商業学校を卒業後、甲府へ戻って教職に就くかたわら、独学で絵画を学び、1931(昭和6)年26歳の時に二科展へ初入選をはたす。シェルレアリスムの画家、福澤一郎の知己を得て、1935(昭和10)年独立展に初入選。翌年画業に専念するために教職を辞して上京、シュルレアリスムの作品を描いて独立展へ出品を続けるが、1939(昭和14)年これを離脱。この間創紀美術協会を結成し、同年新たに結成された美術文化協会の創立会員となる。戦前戦中の文化弾圧の中で一貫してシェルレアリスムの絵画を描いて前衛運動を支えるが、戦後になって美術文化協会を脱会し、1952(昭和27)年前衛美術団体サロン・ド・ジュワンを結成した。1988(昭和63)年山梨県県政功労者として表彰されている。その作品は、作者の深い人文的造詣に裏づけられて、常に文学的情緒をたたえている。」(美術館web siteより引用)
◎米倉壽仁『ジャン・コクトオの「夜曲」による』(1979年:山梨県立美術館蔵)
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◎米倉壽仁『光』(1938年:山梨県立美術館蔵)
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◎米倉壽仁『翳』(1938年:山梨県立美術館蔵)
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◎米倉壽仁『ヨーロッパの危機』(1936年:山梨県立美術館蔵)
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◎米倉壽仁『モニュメント』(1937年:山梨県立美術館蔵)
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◎米倉壽仁『霧』(1941年:山梨県立美術館蔵)
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※今回のお土産
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