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お喋り
久しぶりに、滞在先の大阪から東京に帰った。
やはり住み慣れた街というのは居心地が良いもので、最寄駅から自宅までの帰り道を歩いているだけで、本当に帰ってきたのだという奇妙な新鮮さと、味わい深い懐かしさが込み上げてくる。
しかし言っておくがこの男、静岡の田舎の出身である。
決して、東京がホームタウンという訳ではない。
家に着き扉を開けると、しばらく空けていたが故のよそよそしさと、ほんの少しの懐かしさを含んだ空気が僕を出迎える。
カバンを置き一息つくと、あぁやっぱりこれが我が家だという安心感が沸き上がってくる。
しかし言っておくがこの部屋、学生用の賃貸マンションである。
しかもしばらく空けていたといえど、せいぜい2ヶ月弱である。
今回の帰京の目的は、しばらく滞らせていた歯医者の診療と、東京に取りに帰る必要のある物ができたこと、それからサークルの同期や先輩・後輩とご飯を食べに行くことだった。
至極当たり前の事だとはわかっているが、やっぱり久々に仲の良い人たちと喋るのは楽しい。
話す、のではなく、喋るのがいい。
大阪の研究室でも、話すことはもちろんある。
でもそれは研究に関する事であったり、自分の作業のわからないところの質問であったり、多くの会話に目的がついて回る。
それに、各自それぞれ忙しくしているところへ話しかけにいくのは、どうやっても少しだけ気を遣う。
でも喋るのは違う。
目的は無くて良いし、喋りたい時に喋りたい事を好き勝手に言えばいい。
それとこれは最近頭の中でぼんやりと考えるのだが、喋るという事の1番大事な根っこの部分は、感情を交換する事だと思う。
話すというのはどちらかというと「こんな事があった」とか「今はこういう事をしている」とか「これができないから助けてほしい」みたいな、事実の羅列・共有を意味する気がしている。
それに比べて、喋るの場合は、「こんな事があって嬉しかった」とか「今はこういう事をしていてちょっとしんどい」とか「これができなくて辛い」みたいな風に、自分の気持ちや感情を伝えるのが大きな意味を持つと思う。
その人の気持ちや感情に目を向けて「喋る」ようになってから、人と話すのが楽しくなった。
21歳でこんな風に気づくのは、少し遅い気もするが。
とにかく、今回久しぶりにみんなと「喋れ」たのは本当によかった。
また明日から、自分の気持ちに目を向けながら、頑張っていこうと思う。