Q.E.D.
新年、あけましておめでとうございます。
今週あったはずのゼミがリモートでOKになったので、現在も絶賛実家でくつろぎながら少し長めの帰省を楽しんでいる。
お盆と年末年始という、社会人の皆様方もお休みに入られるシーズンは、もちろんウチの家族も全員休みで家にいる。
だから僕は、だらけきって家族に寄生するのだ。
しかし、そんな寄生シーズンも束の間。
長く実家に居座ると、家族がみんな働きに行ってしまう。
つまり、実家で一人暮らしをすることになる。
僕は、夏の帰省もお盆のシーズンから若干ズレた時期に帰ってくるので、よくこういう事態に陥る。
車が無いと何もできないような田舎な上に、唯一の移動手段であった自転車は、母上がいつの間にか親戚に譲り渡してしまっていた。
実家で軟禁されるというのは、何度味わっても不思議な感覚である。
そんな時、車で外に連れ出してくれる地元の友達は何とも心強い。
先日、中学時代よく一緒に下校していた地元の友達が夜のドライブに連れ出してくれた。
彼は進学を機に富山へ引っ越したため、成人式ぐらいしかまともに会えるタイミングが無かった。
別の高校に通ったり、長時間話ができる場面が無かったりと、積もる話がいっぱいあったわけだ。
車中で、僕らは高校からの歩みをおさらいしていった。
受験勉強の話から、大学生活の話。
特に僕が大学の彼女にこっぴどくフラれた話は大いに盛り上がったし、事細かに披露してくれた彼の恋人との紆余曲折も面白かった。
そして、話題は進路の話に移った。
僕は進学で、彼は就職する。
無事に就職先は決まったものの、彼にとって就活は結構しんどかったらしい。
就活について彼はこう言っていた。
答えがないから、わかんなかった。
高校の時の受験勉強も、大学に入ってから習った証明問題も、難しいけど解は用意されていて、そこまでの解法や証明のパターンもある程度確立されていた。
でも就活にはそれがないから、本当に大変だった。
彼は時折、「考え過ぎる節がある」と言われる事があるようで、彼自身もそのことを自覚しているらしい。
そして聞いている限りその頭の回転は、ややネガティブな方向へと使われがちなようだ。
僕にも、少し似た部分があるので気持ちはわかる。
どんどん大人に近づいていく焦燥感や、未来への閉塞感が、なんとなくいつも頭の片隅にチラついている。
もし数学みたいに、生き方の証明ができたなら、どんなに良いだろうか。
帰納法が、演繹法が、背理法が使えたら、どんなに良いだろうか。
今までも、卒業や進学のタイミングには必ず未来への不安が付いてきた。
でも、高校で楽しい思い出もたくさんできたはずだし、大学に入って大切な人もできたはずだ。
たくさんとは言えないかもしれないけど、刺激的な出来事を潜り抜けてきたんじゃないか。
だから、この先の未来もきっと楽しくなる。
「僕らは生きている」
「生きていれば、いつかきっと幸運が訪れる」
「いつか幸運に恵まれるなら、楽しく生きられる」
だから、僕らは楽しく生きられる。
僕らの人生は不幸なまま終わる、とする。
すると、今までの出会いや楽しかった思い出はどうすれば良いだろう。
嬉しかった気持ちも、心揺さぶられた感動も、無かった事にはできるはずがない。
だから、僕らの人生は幸せなまま終わる。
証明問題は、そこまで得意な訳じゃない。
でも、こじつけだろうと、無茶苦茶だろうと構わない。
論理が飛躍していようが、破綻していようが、答えがないなら誰もその証明にケチをつけられないだろう。
次会う時にまた、証明途中の照らし合わせができたら良いと思う。
できる限り、思い切り笑い合って。