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面倒臭いの向こう側

生まれてこの方、あまり「誘う」という行為をしてこなかった。

何かをしたい、何かを食べたいと思うことはあっても、「それを誰かとしたい」という発想にはなかなか至らなかった。

いや、少し違う。
誰かとしたいと思ったこともあるけれど、その誰かを誘うことが面倒臭くなってしまうのだ。

僕の中で「誰かを誘う」という行為は、3段階に分かれている。

まず1つ目の段階が、「誰を誘うか考える」段階。
一緒にどこかへ行きたい人をピックアップして、人数を編成する段階。
しかし、まだこの時は声を掛けない。

次のステップは、「どこへ行くか考える」段階。
何を食べたくてどこの店に行くのか、何がしたくてどこまで行くのか。
それら全てを考慮して、行く店、場所を決める。

最後に、「実際に誘いたい人に声を掛ける」という段階に入る。
その人の予定が空いているかの確認ができ次第、すぐに予約が取れる段階まで持って行って、初めて「人を誘う」のだ。


この3段階全てを、僕は「人を誘う」ということだと思っている。

だから正直、誰かを誘うのがすごく億劫に感じることがある。
というか、ほとんどの場合、第2ステップくらいでつまづく。

そんなものだから、1人で行き先も決めずにぶらぶらして、よさそうなお店を見つけたら入るという勝手気ままな行動に出るのだ。


そう、僕は19年間という人生の中で「人を誘う」という事を億劫に感じ続けていたために「ひとり飯」というものに慣れてしまったのだ。

だから、クリスマスに1人で浅草なんかに行くのである。

本当は、すっごく浮いていて恥ずべき事なのかもしれない。


僕は、本当に運が良かった人間だと思う。

なぜなら、そうやって生きて来たにもかかわらず、必ず「僕を誘ってくれる人」が誰か1人はいたからだ。

多分、小中高でのクラス編成が大きく影響していたのだろう。
クラスの中で「どこかに行こう」となれば、誰かしら必ず「あいつも呼ぶか」ということになって、僕を誘ってくれていた。

だから、今までは「誰かを誘う」という行為をしなくても、そこそこ楽しい人生を送れていたのである。


しかしもう、今はすっかり環境が変わってしまった。

大学生という、有り余るほどの自由時間を与えられた僕たちは、逆にその時間を「埋める」という作業に没頭するのである。

1人で過ごすにはあまりにも長く、それでいて他人との距離は遠い。

大学生になって思ったけど、人間は大人になっていくにつれて、人との距離をどんどん長くしていく生き物だと思う。

そこに、コロナという「もっと人々を遠ざける因子」が加わった。

つまり、もう僕は「待っていたら誰かが誘ってくれて、そこで生まれた楽しいひと時のお裾分けをもらう」という立場に甘んじているわけにはいかなくなってしまったのだ。

面倒臭いという気持ちの重りに反発して、他人と関わることに真剣に向き合わなければならないのだ。


多分、これを読む人の中には「何を言ってるんだこいつ」と思う人も大勢いるかもしれない。

ただ単に人を誘えばいいだけなのに、僕はこれほどまでにそんな分かりきった事を拗らせているのだ。


だけど、僕にとっては本当に大きな事なのだ。
少しずつ頑張らなければ、人を誘えない人間なのだ。

これから少しずつ、変わっていこうと思う。
今まで重たい腰を理由に、あぐらをかいていた僕から成長していくのだ。

なんてことを、一人焼肉をしながら考えていたのだった。
(ヘッダーの写真)

明日から、ちゃんとします。

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