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戦湯
風呂に入りたい。
心の中でそんな熱い思いが煮えるように沸き立ってきた。
心配しないでほしいのだが、別に今僕が雨ざらしのまま野宿しているとか、人目のつかないどこかに監禁されていて、自由に風呂も入れないという訳ではない。
一応名誉のために補足しておくと、毎日シャワーは浴びている。
今は大阪に滞在中で、大学側が用意してくれている宿泊施設で生活しているのだが、先週の月曜日に部屋を移ることになった。
僕が元々割り当てられていた部屋はどういう訳か家族用の部屋で、浴室もそれはまぁご立派なものだった。
だから時間に余裕のある夜なんかは湯船に浸かって、1日の疲れを身体の垢ととともに流すなんてことができた。
しかし今度の部屋は1人用の部屋だ。
浴室は、ユニットバス。
浴槽とトイレを隔てるものは、一枚のカーテンしかない。
浴槽はあるのでお湯を張って浸かることも不可能ではない。
しかしそうなるとシャワーを使って体を洗うことができない。
昔から不思議に思っていたことなのだが、ユニットバスという仕組みを考えた人は、一体どういう意図で浴槽を取り付けたのだろう。
この浴槽に湯を張る人はこの世に存在するのだろうか。
そんな訳で、ここ数日は湯船に浸かるという事ができずにいた。
どうしても風呂に入ってゆっくりしたいと思った僕は、近くの温泉まで車を走らせた。
日曜の昼。
風呂に入りにきたお客さんは僕以外にも結構いた。
意気揚々と男湯の暖簾をくぐり、身体を洗い、湯船に浸かった。
なんという至福。
たった1週間という短い期間を空けただけで、風呂というのはこれほどまでに魅力を取り戻すのだ。
しかし浸かっていて思った。
男湯というのは、なんとも不思議な空間である。
女湯という世界がどういうものか知る由もないし、知ってはならないので比較のしようがないが、男湯というのはどうも殺伐とした空気が流れている。
辺りを見渡すと、笑っちゃうぐらい泡が吹き出すジャグジー風呂に浸かっている老人が、鋭い眼差しで真っ直ぐ前を見つめている。
ジャグジー風呂に浸かっているのに、顔は剣山の上であぐらを描いているような険しい表情なのである。
さらに、湯船の中で脱力し、顔の前面だけを水から出している男もいる。
ちょうど、背泳ぎをしているかのような格好だ。
その男性も、力のこもった顔つきで天井を見上げている。
露天風呂に移動すれば、よくプールサイドに置いてある「リクライニングを最大限まで倒したような椅子」が並べておいてあり、その上に男たちが寝転がって日光浴をしている。
しかしその眉間にもまた、深い皺が刻まれているのだ。
どうしてこうも、男たちは険しい顔つきで風呂に入るのだろうか。
別に風呂に入っている時くらいリラックスすれば良いものを。
まして鎧という名の衣服を脱ぎ捨て、自分の身を守るものは何もない全てを曝け出した状況だ。
威嚇するような顔つきでいるより、穏やかな微笑みを浮かべていた方が身の危険を感じる必要もない。
いや、もしかしたらそんな無防備な状態だからこそ、「なめんじゃねぇぞ」という意味を込めて険しい顔を作っているのかもしれない。
いや、あるいは…。
と考えているうちに、はたと気づいた。
たぶん今の僕の顔すごい険しいな。
たぶん、男湯の人間は、僕と同じようなことを考えているからこそ、あんな険しい顔つきをしているのだ。
妙に納得した僕は、のぼせる前に早々と湯船から上がった。
帰りがけにコーヒー牛乳を買って飲んでいる時、今日一番の笑顔が浮かんだ。
もしかすると僕は、湯船に浸かるよりも、コーヒー牛乳が飲みたかったのかもしれない。