
銃口
僕の軽蔑されるべき趣味の1つとして、「カフェで隣に座った人の話に聞き耳を立てる」というものがある。
これは道徳的に良くないとわかっているが、カフェというのはいろんな人間で溢れているから面白くて仕方がないのだ。
岸田政権に暴言を吐くご高齢の方々から、将来の資産形成について相談している中年男性。
「あの子って愚痴っぽく言ってるけど、結局彼氏でノロケてるんだよね?」と謎の連帯感に沸き立つレディースたちに、如何にして自分は金を得たかという話をするスーツとそれをメモするカジュアルコーデ。
自分がそうやって聞き耳を立てているので、いつ頃からか、カフェでは普段より少し小さめな声で話す癖がついてしまった。
大抵の話は面白いと思いながら聞いていられるが、先日コメダにて隣に座ったマダムたちの会話は、聞いていて眩暈がするような内容だった。
昼時に店内に入った僕は、自分の歯をガッチリとホールドしている矯正用のマウスピースをトイレで外し、席に着いた。
マウスピースをつけている間は水しか飲んではいけないため、カフェでコーヒーを飲む時や、外食をする際はいちいちトイレに行って外さなければならない。
だから外出する時は必ず、マウスピースを収納しておくための黒いケースを持ち運んでいる。
物理的にも規則的にもガチガチに固めてくるマウスピースから解放されてメニュー表に目を落とすと、隣のマダムたちは我が子の学習状況について語り始めた。
マダム1
「この前うちの息子さ、テレビ見てぼーっとしてたんだけど」
マダム2
「あー、あるよね」
マダム1
「お母さんが宿題言わなかったから何もすることないと思って、だって」
マダム2
「それよく言う!自分で考えて動けよって思うわ」
マダム1
「本当腹立ってきてさ。こっちは色々考えてやってんだよって」
マダム2
「最近はもう期待しなくなってきて。掛け算とかできたら『すごいじゃ〜ん』って褒めてるもん」
マダム1
「でもあんまりわざとらしくやり過ぎると、舐めてるだろって怒られるよ笑」
マダム2
「まあね〜。どっか寮がある学校とか行ってくれないかな」
マダム1
「行かせるお金があれば、だけどね。でも東京じゃそんな所無いだろうね〜」
マダム2
「一緒の寮行かせる?なんつって笑」
息子たちの学力や学習態度に関して不満を持っているらしく、軽快な愚痴のオンパレードが繰り広げられていた。
聞き耳を立てるプロとしては、カフェというのは愚痴の大喜利会場になりやすいことは知っている。
コーヒーにも負けないくらいの苦味とキレを持った愚痴を披露する様は、まるで「自分の方がもっと強めに愚痴れるぞ」という闘争心すら感じるほど。
そこからマダムたちの話は、学力以外にも転じていく。
マダム1
「それでいて見た目が良いかっていったらそんなことないでしょ?」
マダム2
「そう。イケメンの美容師にお願いしても、やっぱ切る人は関係ないね」
マダム1
「そうそう!うちが行ってる所も何人か美容師いるけど、人選ぶよね笑」
マダム2
「それでも変わんない笑。だからせめて恥ずかしくないように躾ぐらいはちゃんとしようと思うんだけどさぁ…」
マダム1
「うるさい、とかって言われるんだよね〜」
マダム2
「そう!もうその箸の持ち方は恥ずかしいからやめてって何回も言ってるんだけどさ。学校でやったら、親の躾がどうのこうのって言われるじゃん?」
マダム1
「結局、こっちが色々言われるから注意してるのにさ。わかんないんだよね、旦那も」
マダム2
「まあそんな細かくなくていいじゃん、とかって言うんだよね!お前が注意しないから、こっちが言うしかないんだろって感じ」
よくもまぁそんな多方面に愚痴の機関銃をぶっぱなせるものだと感心しつつも、その銃口が我が子にも向いていることが少し悲しかった。
せめて向けるなら、下品で攻撃力の高い機関銃ではなく、離れたところから「人としての道を踏み外すなよ」という牽制の意味を込めた狙撃銃にしてほしかった。
親が自分の話をするなら、顔が悪いだの、寮に行けだの、悪意が7割くらい捩じ込まれた銃弾よりも、「躾がなってない」という威嚇のための空砲だけで留めてほしい。
もしくは、発砲音が放屁の音になっているピストルで、面白おかしく話してほしい。
一通り食事を終えた僕は、「親が誰かに対して自分のことをあんな風に話していたら傷つくな」と胸を締め付けられるような気持ちを抱えながら、マウスピースで自分の歯を締め付けた。
その後、店を出てから数時間して、僕はあることに気がついた。
「あ…。マウスピースのケース、机の上に忘れた」
店に電話をすると、預かってくれているとのことだったので、戻って取りに行った。
よかった、手元に戻ってきた。
安堵していると、僕の脳裏にあの2人のマダムが浮かんだ。
「なんでそんな大事なもの忘れるかなー」
「人様に迷惑かけて、躾がなってないと思われたら恥ずかしいわ」
カチャリ、という音とともに、あの機関銃の銃口を背後から突きつけられたような気がして、僕は背筋をピンと伸ばした。
でも僕は思う。
もし僕の親がそんな風にして僕を貶していたのなら、とぼけた顔で放屁をかましてやろうと。