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2026への挑戦状。日本が向上させないといけないのは『保持』ではなく『前進』である。

試合後によく聞かれたのは「これからはもっと主導権を握ったサッカーをしていかないと未来にはつながらない」「ベスト8以上に進むにはもっと主導権を・・・」

そもそもサッカーの主導権とはなんだろうか?
私が最近しっくりきたのはビジャレアルで働く日本人の佐伯夕利子さんの以下のスイート

主導権を握るとは、ゲームプラン通りに相手にやらせるということ

佐伯夕利子 Twitter

日本では多分何も意識せずに『主導権』という言葉を聞くと=ボール保持率になるのではないだろうか?
ボール保持を相手に譲れは主導権を握られた。ボール保持して敗れた場合には主導権は握ったが敗れた。と。
私はとてもとても違和感がある。ボール保持率が高い方が勝つわけではない。ボールを保持しなくても勝てる。
なのに『主導権』がボールに依存して表現されるのはおかしい。
だからこそこの言葉に出会ったときにとてもしっくりきた印象を抱いた。

では、今回のW杯は果たして主導権を握れていなかったのだろうか?
上記の佐伯さんの言葉からすると「そんなことなかったんじゃね?」って思う。
ドイツ戦もスペイン戦も狙い通り勝った気がする。
コスタリカ戦はわからないけど、クロアチア戦もある程度握っていた気がする。
実際のところゲームプランの真実はわからないので一概に言えないが。

日本の関係者が言っている「もっと主導権を・・・」の言いたい意味は理解できる。多分それはもっと『ボール保持によるゲームコントロール』を増やしたいということだと思う。今回のW杯はあくまでも相手をリスペクトした上でのリアクションサッカーだったと。それでは上にいけないと。
間違えてはいないと思う。というよりも、ワールドカップで上に行くチームは必然的にそれくらいの実力があるからそういうゲームコントロールが多くなる。どっちが先かわからないけれど、確率を上げるためには結果そうなる必要があると思う。

ただし、必ずしも『ボール保持によるゲームコントロール』をしないといけないわけではない。持たせた方が崩れるチームもあるし。上記の記事ではボール保持率やパス数が増えると勝てない日本の矛盾とあったが、それは別に矛盾ではない。
サッカーはボールを保持するかどうかのスポーツではないということは再三言っておく。それはキックオフがどっちから始まるか、コーナーキックの回数などと同じで1つの要素に過ぎない。

そんな前提の上で、じゃあ日本が今後「結果ボール保持によるゲームコントロールをしていた」状態になり、世界で勝ち抜いていくためにはどんなことが必要か?先に言っておくが「これをすれば勝てる!」ではない。記述はしないがクロスの攻防はもっと磨かなきゃいけないだろうし、グヴァルディオルに勝てるようにならないといけないし。あくまでも1つの要素としてあげる。またそれは日本に多くいる『ボール保持教』へのアンチテーゼでもある。

結論から言うと
『保持ではなく、前進を磨かないといけない』である。

厳しい言い方をすると日本は『ビルドアップ』ができていない。
ビルドアップとは何か?
私は「ライン間・DFライン背後で相手に怖さを与える状況を作る」と定義している。そのためには「フリーマンを利用」して「相手のプレスの背後にボールを運ぶ」ことが必要だ。

ボールを保持する云々ではなく、相手のプレスの背後を使いながらライン間やDFライン背後に優位を作り、侵入することである。
ボール支配率が20%だろうが、ロングボールが多かろうがこれは変わらない。今回の日本は試行回数も少なかったがその少ない中でもこれが全くできていなかった。

コスタリカ戦。相手のブロックの手前でボールを横に動かすものの、どのライン間・背後にどのように侵入するかが全く意図が見えなかった。ブロックを作っている相手に対しては『どの相手を引き出して、誰がその背後に侵入するか?』を考える必要があるが、日本の選手は目の前にブロックがあるとそれを避けるようにボールを動かしていつ穴が開くのか?を眺めているだけなように見えた。

クロアチア戦はこれが顕著なシーンがあった。
DFラインでボールを保持している場面で中央の吉田が左右の冨安・谷口へ配給しようとしている時に、相手のWGがプレスに行く素振りを見せると吉田はそこへの配球をやめて逆方向に行ってしまい、結局相手の誘導したい方向に行ってしまって結果有効な前進ができなかった。そんなシーンが多数見られた。

図でもあるとおり、そこで相手がプレスに来てくれれば背後にはその背後には2vs1ができる。ビルドアップとは相手から逃げ続けることではなく、その背後にいかに侵入するかなのである。

なぜそうなってしまうのか?

ここからはあくまでも私の推測である。
結論としては『方向性のないトレーニングをし過ぎているのではないか?』と言うことだ。
なぜこう考えたかは『方向性なしトレーニング』と『方向性ありトレーニング』の両方について紐解いていくと見えてくる。

『方向性なし”ポゼッション”トレーニング』


4vs4+1フリーマン
目的:ボール保持

よく見るいわゆる『ポゼッション』トレーニング。
このトレーニングで求められることは「フリーマン・スペースを見つけること」「パスコースを作ること」「テクニックアクションの反復」「切り替え」などを連続性のある中で行うなどだ。一方でどこにボールを運んでもよく目的地もないため考え方を変えれば『相手がいないところに逃げ続ければ良い鬼ごっこ』のようなものだ。ポジショニングも4-3-3の中央を切り取ったようになっており、ゲームに直結するトレーニングのように見えるが目指す方向がなく、意図的にどこかの場所を空けたり、フリーマンを作る必要がない(そうやる選手もいるだろうが、あくまでもゲームの特性上は必要ないということ)トレーニングだ。このトレーニングでいうと、ボールホルダーがこの状況から後ろを向いてボールキープを始めてもゲーム上は正解である。

『方向性あり”ビルドアップ”トレーニング』

4vs4+1F(4-3-3の中央2-1-2)
目的:ライン突破

次に方向性があり、明確に目指すべき目的地がある前進のトレーニング。
このトレーニングで求められることは「フリーマン・スペースを見つけること」「パスコースを作ること」「テクニックアクションの反復」「切り替え」ということに加えて、前進するために前方により優位な状況を作らないといけないということだ。どこかを引き付けてどこかにフリーマンを作ったり、スペースを作ったりただ保持するのではなく、目的地に対してどのようにボールを前進させるかを考えなくてはならない。上の”ポゼッション”トレーニングでは相手のプレスから逃げ続けたり、後ろ向きでボール歩キープし続けても目的は達成できるが、このトレーニングではその追いかけてくる相手の背後を取らなければ目的を達成できない。これは実際の試合と目的が同じになってくる。そう、ゴールを目指さないといけないのだ。相手が目の前にいるから前に進むことを諦めて横に進み続けたらいつまでも追い込まれ続けるのだ。

”ポゼッション”トレーニングはそもそも数的優位な上に目指す方向性がないためボールに極端に寄ればその数的優位を使いボールを保持できるかもしれない。ただ実際のゲームでは局面に過度な数的優位を作るのは良いことだとは限らない(時々、数的優位は最強のように捉える思想に出会うが・・・)。なぜならば、サッカーは人数が変わらないスポーツなので(退場時や怪我の時は除く)、ある局面での数的優位は他の局面での数的不利を招くからだ。そのため私はよく「数的優位は数的不利」と言っている。サリーダデラポルピアーナをするということは前が数的不利になるということなのだ。最強の武器ではない。だから私はあまりサリーをしない(する時もある。ある状況では)。なので数的優位は闇雲に作るのではなく、意図的に作らなければならず、何かを得るためには何かを捨てるというそのトレードオフを選手には学ばせなければならない。

『ポゼッション』トレーニングではサッカーの一部の”構造”を反復できるが”状況”は基本的に再現できない。『ビルドアップ』トレーニングでは”構造”と”状況”の両方をトレーニングできる。もちろん両方を使い分ける必要があるがそこを理解した上でトレーニングを作成すべきではないか。

サッカーとは?

では改めてサッカーとは何であろうか?
色々な側面があり、これと一つの正解をあげれないスポーツではある。
それを前提として、一つの側面を上げたい。

それは
サッカーは相対的な相互作用的なスポーツである。

スペインはなぜ相手よりもボールを保持してるのか?
それは相手が持たないからだ。
ではなぜ持たない(持てない)のか?
それはボールを奪いにいくといとも簡単にライン間やDFライン背後で怖い状況を作られてしまうからだ。決して自分たちだけで保持しているわけではない。
相手の振る舞いがある前提でボール保持が成立している。
つまり保持しているかどうかは結果論なのであり、目指すべき場所は他にある。
ロングボールだろうが、支配率20%だろうが『正しく前進する』ことだ。

日本の育成年代に思うこと・・・

ここまでビルドアップについて書いてきたが、ここではそれに対して守備のことを書きたい。それが結果的にビルドアップにつながるのだが。

結論からすると、日本の育成年代(自分が見てきた傾向として)は守備の文化が薄いなと。『強度』という言葉が流行ってから、前にとにかく突っ込んでくるプレスは増えたが、そこに意図感じられない(とにかく強く行く!)ことが多い気がする。例えば1stラインは強くプレスに来るが2ndライン以降は狙っておらず、2ndラインがまたボールを保持した相手に対して突っ込んでくる。のような。
局面だけで言えば強くきているが、フィールド全体としては緩い。背後守らず気にせずプレスに来るから、ハマらなかった時には終了するような一か八かプレスが流行しているように思う。
フィールド上で11人が1vs1を繰り返しているような。
「個の力を磨く」ということにはなるかもしれない。
しかし、私は「何も考えずにとにかく強く突っ込んでいき、1vs1が負けてはいけない責任を通常以上に負う一か八かプレス」は”個の力”を磨ききれないと思う。なぜならば『頭』を使っていないから。サッカーにおいてどの局面にも必要な『判断』を欠いてしまっているからだ。そこも求めた上で強いプレスに活かせること、予測させることが本当の意味での”強度”なのではないか。

上記の状況がある中で、日本の育成年代の試合でのビルドアップは『ポゼッション』をしてしまっている傾向にあると思う。
つまり背後を空けた1vs1の局面にだけ強い(背後は空いている)プレスに対して、その局面だけを解決するようなビルドアップを選択しボールを失わないためのボール運びをしてしまっているような気がする。要はビルドアップも目の前の1vs1の解決を考えてプレーしてしまっている。だから必要以上の時間や手間がかかる。
本当は背後が守れていないor連動していないからもっとシンプルに前進すべきなのではないかと思う。

こうなると「フィールド全体での強度の高いプレス」に対して正しく前進することはできなくなる。今回の日本代表が直面した課題は実は日本の育成年代の積み重ねでもあるのかもしれない。

この大会の課題は”森保ジャパンの課題”ではなく”我々の日常の課題”である

こんな締めで終わりにしたいと思う。


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