どんなフットボールをするか?に対する私の考え方

「どんなサッカーをするんですか?」
「もっとこんなサッカーをやらないんですか?」
「こういうスタイルのサッカーなんですね」

時々こういうことを言われるが、私の見解は
「どんなサッカーをするか、してるかを語ることに意味はない」と思う。

私たちがボールを持っている時
あなたたちはボールを持っておらず

私たちが自陣にいる時に
あなたたちは敵陣にいる

私たちがゴールに迫れば
あなたたちはゴールを守っている

水たまりの上はグラウンダーのボールは転がらず
向かい風の時はボールも体も進みづらく
緊張してればプレーがうまくいかず
疲れていればいつも通りのプレーは難しい。

足が速い選手vs足の遅い選手が走り合いをしたら足の速い選手が勝ち

足の遅い賢い選手と足の速い賢くない選手がは走り合いをしたらもしかしたら賢い選手が勝つかもしれない

サッカーにおいて目の前で実際に起きていることで完全にコントロールできるものは、その全てではない。

だから「パスを繋いだゆったりとしたサッカー」とか「縦に速いサッカー」とか
そんなことは結果論でしかない。

ゆったりしたサッカーを
ゆったりしてると良さが出ない選手を抱えてやることにどんな意味があるのか?

縦に速いサッカーを縦に早くない選手とすることでどんな意味があるのか?

相手が背後を空けて前に前にプレスをかけに来た時に
ゆったりとボールを繋ぐ意味はどこにあるのか?
それで良さが出ればいいが、大抵のチームはボールを失ってピンチになる。
あなたがみてたドリームチームバルセロナは
文字通りドリームチームであり、目の前の普通のチームではない。

どんなフットボールを披露するか?
を常に突きつけられるチームは世界に何チーム存在するのか。

結果論語られる。
ボールを保持すれば
「もっとゴールを目指さないと」
ボールを離せば
「もっとボールを保持しないと」
縦に早ければ
「もっと慌てずに」
ゆっくりやれば
「もっとゴールに向かおう」
そう、結果論なのだ。

だから無意味である。

じゃあ何を規定して、どんなことに目を向けるべきか?

「どんな考え方でフットボールを行うか?」
「フットボールをどう捉えるか?」

ビルドアップってなに?
どんなことを目指すの?
何を大切にするの?
何を考えて、どんなものを見つけるの?
どんな駆け引きを相手とするの?

そしてそれを習慣にすること。
そして様々な経験をさせること。
だってサッカーには同じ場面は2度と来ないのだから。

ただ私もサッカーを見る時は
どんなスタイルなのかな?
どんな現象が起きてるのかな?
って見ますよ。

それとこれとを一緒にしてはいけません。

サッカーにとってプレースタイルよりも
プレーイングフィロソフィーの方が大切ですよね。

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