奇跡の祖母、毒舌で言う
老人ホームの祖母に会いに行った。
わたしは今回が初訪問。一緒に向かった従姉妹たちは何度か会いに行っているらしい。
いつからだろう、もう5年以上は会っていなかったと思う。
正直、久しぶりすぎて会うのがちょっと怖かった。5年も経てばだいぶ変わるだろう。
少し前に、近況を書いた手紙を送った。どれぐらい私のことを覚えてるか分からない。母によると一応、手紙は読んでもらえたらしい。
そんなドキドキの中で会った祖母は、想像の10倍元気でビックリした。
88歳の祖母は、杖をつきながら1人で歩き、背筋もシャンとしている。ご飯もよく食べている様子。
ホームでの生活はルーティンが決まっている。あんまりやることがない、と祖母は言う。目が弱っているので、読書などの娯楽もなかなか思うようにはできないようだ。
一応まだコロナ禍なので、基本的に外出をする機会はない。歩くとなると施設内のみ。
祖母が住んでいる階は、廊下が繋がっていてグルグル回れるらしい。そこを歩くのが散歩代わり。
歩ける場所があってよかったなと思う。
毎日が同じことの繰り返し。そういう生活をしていると、自然と物事を忘れていきそうな気もする。
それでも祖母は、じぶんの子供たちだけでなく孫たちの名前まで全員を覚えてた。最近の出来事もアレコレと話してくれた。
久しぶりだからか、わたしの名前(アスカ)は一致するのに少し時間がかかった。にも関わらず、なぜか「横浜市在住のシミズさん」ということだけは最初からハッキリと認知されていて面白かった。
シミズになったのは最近の話なんだけどね。手紙に書いた最新情報をちゃんと覚えててくれたことが嬉しかった。
マスクを付けている上に、何年も会ってない人の顔と名前なんて一致しないのが当たり前だと思う。分かるだけですごい。
ところで、祖母は昔からわたしに対して若干の毒舌がある。
学生の頃に「アゴに汚れがついてるよ」と言ってわたしのアゴを拭いてくれたことがあった。
ごめん、おばあちゃん。それはケツアゴでできた影なんだ。
「あぁ・・・なんだアゴが割れてるだけか」と追い討ちをかけてきた時の声のトーンも、いまだにありありと思い出せる。
遡れば、子供のときには祖母にテーマパークに連れて行ってもらったことがあるはずだし、大人になってからも一緒にお茶を飲みながら過ごした時間があるはず。
だけど、それはよく思い出せない。
亡くなった祖父との思い出なら、楽しかった時間をカンタンに思い出せるのに。
もしかしたら、あんまり祖母と話をしてこなかったのかもしれない。
今回は少しでも話そう、と思っていた今回の訪問。
祖母は、孫たちに順番に近況を聞く。
「変わりがなくて良かったねぇ」と優しい言葉をかける。
わたしの番になった。
「手紙に書いてあった内容から何か変化はある?」と聞かれた。
「いや、特にないよ。夫婦2人でふつうに暮らしてる」と答える。
「なにも変わりがないの?それは可哀そうだねぇ。。。」
と言いながら、祖母は苦笑いをした。
おーい!!!待って待って待って。
他の人は「変わりがなくて良かった」のに、わたしだけ残念なニュアンスになってしまうのは何故!?
急に手厳しくなった祖母に、わたしも叔父たちも笑ってしまった。
ほんと、祖母はこういうところがある。私たちは急展開に呆気にとられて、思わず笑ってしまう。
これを書きながら「あぁこれが私にとっての祖母だ」と、今ようやく思った。
テーマパークに連れて行ってくれる祖母や、お茶しながら世間話をする祖母じゃない。
突然わたしにだけ矢を放ってくる祖母。
悪意ゼロなものだから何だか面白くて笑ってしまう。
ケツアゴ事件のことだって、あれから10年は経っているのに、こんなにも色褪せずに思い出せる。
それが、わたしの大切な祖母との記憶。
今日、あまり体調が良くないので日記をイヤイヤ書いてたけど、やっぱり書いて良かった。頭の中で上手く配置できてなかった箱の、置き場所が決まった感じがする。
帰るときに、ホームの職員さんが「今度みなさんで外食でもどうですか?」と声をかけてくれた。
祖母が元気なら、家族と一緒に外出してご飯を食べたり、散歩に行ったりしてもOKなんだとか。
職員さんから『奇跡』と言われるぐらい、祖母はホーム入居時から状態が変わってない。記憶もちゃんとしてるし歩行もできるし自分の歯でご飯も食べる。
だけど「その時間はやっぱり無限じゃない。今を大切にしてくださいね。」と職員さんは言う。
また今度、祖母に会いに行って、手厳しい一言を言われてこようと思う。きっとまたみんなで笑ってしまうだろう。
その一言こそが、きっと何十年経っても忘れることのない、わたしにとっての愛する「祖母の記憶」なのだ。
〜fin〜