発達障害の心理学科生

はじめまして。さみや綾です。

タイトル通りわたしは発達障害(ADHD 注意欠陥・多動性障害)を持ちながら心理学科に通っています。
現在1年生ですが、この7月で20歳になります。経緯はこのマガジン内で話していくつもりです。

他にも抑うつ状態、不眠、アトピー性皮膚炎などで治療を受けています。ここもおいおいできたらなぁと。

今回のテーマはこちら

\精神科を受診したきっかけ/

いやどうでもいいよ、って話なんですが、発達障害診断のきっかけでもあるかなぁ、と思い、この話をはじめにすることにしました。

16歳の1月。正月明けから体が動かなくなりました。気力がない、という状態で、1日に8時間机に向かっていても、進捗はプリント1枚、というレベルで、思考能力が落ちていました。
また、頭痛と耳鳴りに悩まされたのもこの頃からでした。

冬休み明け、わたしは1度の登校で笑って自分を保つ気力すら使い果たし、学校に行けなくなりました。宿題は終わっていませんでした。宿題を進めることもできませんでした。

当然持病もなく、戸惑ったのを覚えています。
(今思えば、その2ヶ月ほど前からイラつきがちだった)

家族からは、甘えという認識をされていました。いままでも宿題が終わらないこともあったし、気圧で頭痛が起こる体質だったから。

(あとあと知ったことですが、うつ病の患者さんは最初に身体症状のみを訴えることがあります)

これはおかしいと思い、精神科勤務の伯母に連絡を取りました。彼女は即病院を休み、わたしの話を聞いて、病院につれていくことにしました。

しかしどこの病院にも予約はとれませんでした。伯母は市内20軒以上の病院に電話を掛けましたが、結局どこもそのひわたしを診てくれませんでした。どの病院も馴染みの患者さんの予約をこなすことで精一杯だったのです。

その後、学校を休み始め1週間ほどたち、担任の先生から面談がしたい、と連絡を受けました。
近所のファミレスで担任の先生と会い、2時間ほど話しました。それは現在の症状だったり、家庭環境だったり(現在父子家庭)、中学時代からの自傷癖だったり、洗いざらいのことでした。

担任の先生は、環境調整を図ってくださいました。

宿題の提出の延期、保健室登校の許可、授業中退出の許可、相談室の紹介、スクールカウンセラーの紹介、関係教員への事情説明。

それらがなされ、わたしは休み休み学校に行けるようになりました。

スクールカウンセラーにかかり、精神科受診が妥当だろう、との判断を受け、わたしは近所の精神科を予約し受診、「うつ状態」ということで治療を受け、進級しました。

あのとき伯母と担任の先生が適切な判断をしてくださったことで、今のわたしがあると思います。お二人には感謝してもしきれません。

まとめ!

・思春期にうつの初発エピソード
・突然の出来事である
・実は精神症状が出ず、身体症状のみのこともある
・「うつかも?」と思っても安易に病院に行けない
・周りの支援と治療が社会復帰に必要である

次回の内容は未定ですが、平凡な女子高生だったわたしが発達障害の心理学科生になるまでの話、前振りのような内容が続きます。

ではまた。さみや綾でした。

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