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まえがき、のような。
毎日、言い訳ばかりしている。
小さな頃から、本を読むのと同じくらい、文章を書くのが好きだった。
頭の中には、自分で考えたお話の欠片がたくさんあって、それを形にしたくていつもワクワクと夢想していた。
けれど、はじめからおわりまでお話を書けたことは、あまりない。
時間がたっぷりあったはずの学生時代はいつの間にか過ぎ去って、気がつけば大人になった。
仕事や家事で忙しいから。
毎日疲れてしまっているから。
まとまった時間が取れないから。
やりたいことがたくさんあるから。
できない理由ばかり探して「文章を書きたい」「お話を作りたい」という気持ちを、どこかで蔑ろにしてきた。
今はできないけど、いつか。
そのいつかがくる保証なんてないのに、未来の自分に向けて期待だけ積み立てて、ままならない毎日を嘆いている。
そのくせ、同年代の友人たちが色んなことに挑戦する姿を、眩しさと羨ましさと妬ましさでもって眺めては、歯軋りしそうな気持ちになる。
「私にだって、時間があれば」とか、思う。
正直、めちゃくちゃ、かっこわるい。
しかも、生まれてからこれまで、ずっと自分と付き合ってきた私は、知っている。
時間があったら、また別の言い訳を作り出してしまうということを。
先日亡くなった著名な方が、生前のインタビュー映像でこんなことをおっしゃった。
「やりたいことをやって、行きたいところへ行って、食べたいものを食べて、もう大体やり尽くしたから、いつ死んでもいいの」と。
投げやりになるのではなく、「自分は十分、自分を生きた」と思えるようになるのに必要なのは、果たして「時間」だろうか。
もしも今、命が終わったら、きっと自分は「あれもこれも、やってみればよかった」と後悔する。
けれど多分、このままだと、10年後でも20年後でも、おんなじことを言っているだろう。
変わるために必要なのは、「やる気」なんてフワフワしたものじゃなくて、「ツール」と「システム」だ。
スマホもパソコンもある。必要なのは、自分がやっていることを、誰かが「見てる(かも知れない)」と思えるシステムだ。怠惰な私は、一方でええかっこしいなので、人に見られている(かも知れない)環境なら、きっと継続できる。たぶん、今までよりは。
はじめの一歩は億劫だけど、踏み出してしまえば、あとは歩き続けるだけ。立ち止まってしまっても、後戻りしたとしても、「やらないでいた」時の0地点とは違うところに行くはず。
今とちがうところに自分を連れて行くために。
自分の人生を、ほんの少しでも「できた」という経験で彩るために。
ここを、「書きたい」という気持ちの居場所にする。
それは、日常のささやかな気づきかも知れないし、過去の思い出話かも知れないし、私の頭に眠り続けてきたお話かも知れない。
これはその、まえがき、のようなもの。