![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163044510/rectangle_large_type_2_88866fbb26b989e0f768242888e5bf2c.png?width=1200)
エッセイ~ペガサスの夜に
わたしは中学の時、部活は陸上部で
走り高跳びをしていた。
高く跳ぶのが好きだったし、走るのも好きだった 。
人より早く走れた時の達成感。
人より高く跳べた時の高揚感。
身体を動かすことが楽しかった。
しかし、中体連で走り高跳びで市内で
見事、優勝したまではよかったのだが、
その後練習中、
膝を剥離骨折をしてしまい
即、市内の病院に入院となった。
様々な検査や手術、リハビリを経て
ようやく退院。
膝には鉄のボルトが入ったまま。
また走り高跳びができて、
また早く走れると思ったが、
治療後も
無意識にびっこをひいてしまうようになってしまった。
遅くなった走り。
跳べない足。
思うようにならない足。
身体のことなんてどうにもならないのだ。
わたしはスポーツを諦め
漫画や文学にのめり込んだ。
話は変わる。
群馬は車社会だが、
わたしは
車には詳しくなく、
走ればいいとだけ思っていたが、
気がつけば車のアクセルを踏んでも加速が良くなく、
どうもエンジンオイルが汚れていると感じ、
近所のオートアールに向かった。
わたしにとって車関係の店は
無意識に苦手意識があって敬遠していた。
算数や理科や機械系すべてに苦手意識があったのだ。
すべて亡き父まかせだった車のこと。
初めて訪れる車関係の店。
自動ドアを抜け
カウンターへ。
若い女性の店員にエンジンオイル交換をしたいと
おずおずと頼み、
車のナンバーを訊ねられ
度忘れしてしまい あたふたあたふた。
キーを渡し、
店員が車検証をとりに車まで走ってくれて、
すべて店員さんが手慣れた感じでしてくれた。
簡易的な車のチェックも薦められたので
ついでに頼み、
エンジンオイルだけですめばいいそう思って、
車のボンネットを開けられて
チェックされていく
あまり見たことのない
わが車の内部を店内の広い窓ガラスから見ていた 。
あらあら
あんなにも汚れて。
いつも野良猫がボンネット乗ってるから
細かい傷だらけ。
まるで病院で家族の検査結果を待つ家族のように。
良い結果であるようにとすがる思いだった。
結果は紙にチェックシートに書かれていた。
い並ぶバツ、バツ、バツ の項目。
まずバッテリーがいつ止まってもおかしくない
状態 だと言われ、
オイルは汚れ、
ラジエーター液も半分までしかなく、
慌てふためいたわたしは
現金の持ち合わせがないので郵便局に一旦寄って、
現金を持ちそのまま
オートアールに再び戻った。
バッテリーを選び、ラジエーター液も買い。
ほぼすべてのバツの項目を交換してもらうことになった。
中学の時膝の手術をした後で、
膝の曲げ伸ばしのリハビリをおこたっていたわたしに、
看護師が足が曲がらなくなっちゃうよと、
からかい半分にかけた言葉がふと脳裏をよぎる。
もしかしたら車も元には戻らないのかも…。
店のひとはプロフェッショナルな目で
ダメ出しをしてくるのではないかと思って、
不安な気持ちで作業を見つめていた。
もうこの車も寿命ですよとか、
まったく!汚く乗ってますねとか…。
しかし整備員さんはそんなことは言わず、
わが車は 他の修理車と同じように
バッテリーを交換してオイルを入れて 、
ラジエーター液も入れられ
自分の仕事に鼻をかけるでもなく たんたんと
たんたんと
「おわりましたよ」と笑顔で言われ
「オーライ!オーライ!」と、誘導されて
一般道に出たときの安堵といったらなかった。
無事に終わった手術(修理)
金額も良心的な値段だったし。
そして、
走りが違った。加速もいいし 、車の滑りがいいというか。
車がヒヤッホーと叫んで走り出しそうな爽快感があった。
すでに冬の夜の五時。
暗くなって来ている 。
わたしはヘッドライトを点け、
滑るように町を走った 。
車好きなひとの気持ちがわかるようだった。
まるで夜に空をかけるペガサスのように
町明かりの元をドライブした。
商店街の街灯がメリーゴーランドのように廻り。
スーパーマーケットの灯りも
こちらに笑いかけているように。
走りが違うと町も違うように思える。
車好きなひとからしたら
今更、何をいってるの?と言われそうな
初歩的な話しだが。
車を走らせていると、
わたしは中学の剥離骨折で
失った走り、跳ぶという感覚を仄かに思い出していた。
この車はわたしの分身だ。
ずいぶん汚く乗ったし、
擦った。
思えばメンテナンスもせず
悪いことをした。
ペガサスは音を立てず
ゆっくりとふるさとを飛び立ち。
もしかしたら
このまま懐かしの東京まで行けるのではないかというぐらい、
なめらかに走って行った。
(ひとはやさしくされると、やさしく生きられる生き物だ)
それと同じように
(車も乗るひとのやさしさによって
やさしい動きで迎えてくれる)
わたしの庭に車を乗り入れたとき、
車が
いや翼を持ったペガサスが。
「やっとわかってくれたね」
とわたしに言っていたような気がした。
年末間近のある冬の夜の話し。