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ホルマリン

あるアパートに向かう
生きているか
死んでいるかわからない程
連絡をとらない
住人にYZさん?と呼び掛けると
「いま風呂!」だという叫び声

真夏のことだ
室内はエアコンもつけてなく
蒸し風呂のようだ

彼がこざっぱりした顔で出てくると
おそらくそれはエアコン代が払えない貧しさからか

水風呂に入っての冷ややかな
時の過ごし方だったに違いない

裏庭の手入れをしない彼のかわりに
草刈り機を使い彼の裏庭を刈ってやって
汗まみれになりながら
彼と話す

何も家具らしきものがない部屋で
しばらく時間を共にする

「兄ちゃんや天井のベニヤがね剥がれちゃってさ
こう、垂れ下がってくるんだよ
どうしたらいい?」
「ガムテープで貼るとか」
愚痴とも苦情ともとれない話をする住人


冬になったらどうするのだろう?
水風呂とあたたかい湯の風呂の重さは違うのか

ありがたみは違うのか?
真冬ではただ彼は布団にもぐって
寒気をやりすごすしかない

だってどんなに熱いお湯を入れたとしても
この築50年の古アパートのお風呂では
すぐに冷めてしまうだろうから

彼はあたためつづけてくれる
母親を失った子のように
布団にくるまるに違いない

その重さはどうか?
薄い布団を何そうもミルフィーユのように巻き
あたためてくれる者を待つ
彼はもういい年だ

真夏の縁側での話しが済むと
彼はまた汗を垂らしながら
エアコンをつけるのをけちり
ひとっぷろ浴びてくらぁという
まるで彼は水棲生物のように
点々と黒い水のしたたりをむき出しの板に残しながら
歩いて行った

水も温くなるような
炎天下
彼はへろへろのシャツを脱いで風呂場に向かった

捨て台詞にこういった

家賃は払えねえと

天井のベニヤを直すまでは
支払う義務はねぇと

夕飯はまた豆腐だと言っていた
恐らく家賃を支払う能力もないのだろう


わたしは窓を開けたままにして去るか
窓を閉めたままにして帰るか悩み

彼の健康を気遣い窓を開けてその場からさった
重い重いきしみを立てる
窓を開け放つと
空は見つめられるのを拒むほど輝いていた

刈られて色を失いつつある雑草の残骸を
見ることも感謝することもなく

彼はホルマリン漬けの遺体のように
風呂に入っている