不自由を経験するということ
2022年12月に人生2度目の入院をした。
某大手総合病院にて右卵巣に悪性腫瘍の可能性があるとされ、連携先の特定機能病院(大学病院)にて入院・手術を行うことになった。
婦人科系の病気の中でも卵巣は厄介である。
何が厄介かというと、子宮頸がんのように直接細胞診が出来ないため、まずは画像診断に頼るしかない。MRI、CT、PET-CTとあらゆる画像診断を受け、境界性悪性の可能性が高いと言われたが、実際は開けてみないと分からない。
腫瘍にも良性、境界性悪性、悪性の3つの種類があることを初めて知った。今までは良性か悪性しかないと思っていたのだ。
良性の場合は卵巣のみ摘出。
境界性悪性の場合は卵巣と子宮を摘出。
悪性の場合は卵巣と子宮に加え、リンパ節への転移も調べるためリンパ組織を複数個所取るとのこと。
医師より説明があったのは、どのレベルだったとしても癒着の可能性があるため、リスクは高い手術になると言われた。
3年前に左の卵巣を摘出しているので、どうしても臓器が癒着しやすくなるのだと言う。
確かに、最初の総合病院でも「うちでも手術出来ないことはないのですが、より専門的な体制が整っている所の方が良い」と言われて連携されたのだ。
結論から言うと私は良性だった。
手術室で麻酔から目覚めた時、「アメトリンさん、良性でしたよ!」と看護師さんに言われた時は人生でかなり上位に入る嬉しさだった。
ただ、やっぱりバキバキに癒着はしていたらしく、主治医から「しっかり癒着はしてたので剥がしましたよ」とドヤ顔で言われた。うん、ありがとう。
働く日数を減らして復職しているが、日常生活の有難さを感じる。
まず、発見されてから入院するまでの2か月間、とにかく検査が多い。画像診断、大腸内視鏡、問診、説明、コロナ検査、どれも大学病院なので時間がかかる。
こちらは会社勤めしているので、その度に欠勤、遅刻、早退しなければならない。楽しいことで休んでいるならともかく、言われるのもされるのもメンタル削られることばかりだ。
「癒着が酷ければ人工肛門になりますから」とか。
ちなみに大腸内視鏡と子宮体癌検査はプチ拷問だと思ってる。
中年とはいえ、癌的には若いに入る年齢である。
万が一悪性だったら進行してないだろうかという不安もある。三か月も不正出血続いてたのに更年期のせいにして仕事を休まず、放置しておいた自分を責めた。
一日も精神的に自由な日はなかった。まず、入院前はこれがきつかった。
手術直後は動けないが痛み止めも強い薬が使ってもらえるし、導尿もしているので、まだ耐えられた。
問題は導尿が外れたくらいからだった。
導尿は外れても栄養剤の点滴はしているため、1時間半に1回はトイレに行きたくなる。従って、夜はほぼ眠れない。点滴されていたのは右手だけだったが、左手もがっつりルート確保されているため、まず握力もない。
トイレのドアを開けるのも、閉めるのも、それこそ自分の尻を拭くのも一苦労、手に刺さっている針が今にも皮膚を突き破りそうだし、痛み止めが経口薬に切り替わるくらいから痛みも強くなり、挙句に歩行訓練が始まる。
前回の左卵巣摘出手術は腹腔鏡だったため、痛みも軽いし片手はルート確保等されていなかったので楽だったが、今回はがっつり開腹手術だ。
人間ここまで動けなくなるものなのかと思った。
栄養剤がようやく終わり、食事に切り替わってもスプーンを持つのも辛い。スマホを持つのも辛い。配膳を下げることすら出来ず、担当の看護助手さんや看護師さんに下げてもらうのも気が引ける(相手は慣れていらっしゃることとはいえ)。
当たり前と感じたことすらない当たり前が出来なくなっていた。
トイレ関係は本当に、普通にトイレに行って自分で始末出来るということがどれだけ有難いことだったのか身に沁みた。
抗生剤の点滴も終わり、ようやくルートが外れた時は本当に嬉しかった。
私にとっての当たり前は、健康あっての当たり前なのだと思い知った。
トータルで3か月くらいの不自由期間だった(今も少し残っているけれど、この期間に比べれば何でもない)。
思ったのは、私は今回こういう結果だったが(ちなみに良性だったからと言って、全てがOKではない。書くことはしないが他にもある)、もし悪性だった場合は抗がん剤、リンパ浮腫、合併症等、様々なものに付き合っていかなければならなかったのだ。
私如きが不自由という言葉を使うことすらおこがましいのかもしれないが、ただ、諸々の疾患や事故によってずっとこういう生活をせざるを得ない人達がいることを肌で感じるきっかけになった。
勿論何か「分かった」ようなことを言うつもりはない。
ただ、経験したことによって、自分が今まで想像していたよりも「当たり前」の生活は有難いということが分かった。
宗教じみたこともスピリチュアルじみたことも言う気はないが、動ける間は時間を無駄にしている暇はないと感じる。
生活の質をどう感じるかは人によって違う。だから、誰かの「苦しい」を「それくらいで?」などと軽率に発言するような人間を心から軽蔑するようになった。
自分が想像もしていないような日常になって、それが生きている限り続くとなったなら、私はどうするだろうか。
たった三か月。
ただ、私にとっては不自由を経験することが必要だったのだと思う。
そうでなければ、一生自分でトイレに行けることが当たり前ではないということに気付かなかったと思う。想像は出来ても、そのもどかしさや情けなさ(ここら辺の感じ方は人それぞれ)をリアルに体感することは出来なかった。
リアルに体感するのが正ではないけれど、この経験は確実に私の中に恐怖を植え付けた。
恐怖があるからこそ、そうでない時を自分の納得するように生きないとと思う。息をしているだけで偉い、などと綺麗事は言えない。
生活の質問題に関わる勉強はして行きたいと思う。
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