【音食同源】 第1回:蕎麦とブルース~オーティス・ラッシュ「All Your Love(I Miss Loving)」
下北沢に、いつも店内にブルース・ナンバーがかかっている蕎麦屋があります。
「蕎麦切り 正音」というお店なのですが、店構えといい蕎麦屋らしく粋でいなせな店内の様子といい、ブルースを喚起するようなイメージは皆無です。ここは無音、もしくは和風の旋律が流れているか流れていないかわからない程度にごくごくうす~くかかっている程度がデフォルトというもののような気がするのですが、あえてのブルース。とにかくブルースが次々と流れてくるんです。
毎回暖簾をくぐるたびに聴こえてくるマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュらのダミ声。よく考えたらハウリン・ウルフはかかっていたか定かではありませんが、いつもブルース・マンの曲が流れているのは確かです。
「いったいこの蕎麦屋は何モノなんだ?しかも蕎麦は抜群に美味いから通わざるを得ない」そんな思いを抱きつつ、たびたび足を運んでいるのですが、だからといって毎日のように通い詰めるようなことはしません。ましてや常連面で厨房奥でせっせと蕎麦を湯がいているであろう店主を呼びつけて「ご主人、ブルース好きなんですか?僕も好きでえ~、あんまり詳しくはないんですけど…」などと詰め寄るなんてことは無粋中の無粋です。混雑時を避けて1人で店を訪れ、迷うことなくカウンターに座り、大もりを1枚注文。海老天やら鴨にも惹かれるものの、シンプルなもり蕎麦をサッと手繰る。己が食するスピードに蕎麦湯が出てくるタイミングが合わなかったとて焦りは禁物、トランキーロ。お茶をすすりつつ、おねいさんが紅い蕎麦湯入れを運んでくるのをじっと待つのが蕎麦っ食いのたしなみというもの。長居は野暮、サッと会計を済ませて再び暖簾をくぐって出て行く。滞在時間はものの30分程度、至高の楽しみがここにあります。
そんな30分1本勝負の中、常に耳をくすぐってくるのが、ブルース。特に、なぜか僕の耳に強烈に残っているのがオーティス・ラッシュ「All Your Love(I Miss Loving)」です。店に行くと、なぜか必ずかかっている、ような気がします。もしかしたらそれは記憶違いかもしれませんが、とにかくオーティス・ラッシュがかかっている、またはかけたことがある蕎麦屋を僕はほかに知りません。1、2、3弦を絶妙にヴィブラートしながら弾く独特のテーマ・フレーズ、そして途中シャッフルになるバースは後にフリートウッド・マック「ブラック・マジック・ウーマン」、サンタナの同曲カバー、さらにはピンク・フロイド「マネー」に至るまで、ロック・アンセムの源流たる黄金的展開といえるでしょう。
曲の大筋の意味は“おまえのすべてをあますことなく愛したい”っていうところでしょうか。というか、簡潔にいうと「おまえが好き、だから俺は歌う」っていうだけの歌だと思いますが、そこにはシンプルだからこその深さがあります。それこそが、ブルースの味わい、そして蕎麦も同じく……なんて陳腐なことは申しません。ただただ、この店のご主人は蕎麦が好きで音楽、特に黒人音楽が好きなだけなのではないかと思います。そしてそれを確かめようという気持ちはまったくありません。ただ、個人的に最高の蕎麦屋に最高のブルースが流れているその理由を無理やり感じ取るとすれば、それは蕎麦・ブルース共に「個」で向き合う音楽であり、「個」で楽しむ食だということです。
ブルースはあくまでも1人の人間から発せられる魂の叫びで紡がれる音楽です。大勢がライヴ会場に集まり、盛り上がろうとも歌い手側、聴き手側共にそこにある「個」は失われることはありません。そして、決してパーティー・ミュージックではありません。それは蕎麦も同じです。蕎麦パーティーなんてものがあったとして、蕎麦好きな人は行くでしょうか。いや、行きません。まあ「大江戸蕎麦祭り」みたいなやつは今年行ったんですけど(笑)、基本的に蕎麦を食べるときは1人。「昨日はみんなでわいわい蕎麦を食べてさぁ~」なんて話はあんまり聞きません。蕎麦を食べるときは「個」がある。そんな蕎麦に対する気持ちと店内に流れるブルースが妙に自分の中で符号するのです。ちなみに、オーティス・ラッシュの奥様は日本人。彼も蕎麦を好んで食べるのでしょうか?そしてお箸はやはり左手で持つのでしょうか。それだけは、ちょっと知りたい気がします。