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【音食同源】第41回:オムレツと忌野清志郎「心の解放区」

「和洋折衷」という言葉があります。日本ならではの良いところ、海外の良いところをほどよくブレンドして創り上げられたものを指しているわけですが、服、住居など、海外の様式が生活の隅々まで行き渡っている日本ならではの用語といえます。

そして、日本の音楽、特にロックはまさに和洋折衷なくしては成り立たない世界です。1950年代以降、エルヴィス・プレスリーをはじめとするアメリカのミュージシャン、ビートルズ、ローリング・ストーンズをはじめとするイギリスのバンドが活躍することで、遠い国から日本にロックが運ばれてきました。どうすれば、憧れの洋楽ロックに近づけるのか?1960年代頃から、さまざまな葛藤を抱えつつも、多くのミュージシャンが正しく「和洋折衷」なロックを日本に定着させるべく、チャレンジしてきたのだと思います。その葛藤とはすなわち、「日本語でロックができるのか」という疑問でした。当時は音楽雑誌などで論争も巻き起こっていたと聞きます。60年代、70年代の日本にとってロックは舶来品。純日本産の音楽は演歌、歌謡曲、フォークソングと考えられていたようです。今聴いても本格的なロックサウンドを出すバンドもかなりいたと思うのですが、日本語の歌詞がついたとたん、えらくダサい曲になっていたりします。

そんな時代にデビューして、日本語が持つリズムを洋楽ロック、ブルース、R&Bのビートと見事に合致させ、和洋折衷なオリジナル曲を生み出していった人がいます。そう、RCサクセションでデビューした忌野清志郎です。

“にぼしとコンブでダシをとって みそ汁とオムレツと親子丼 天津飯 炭水化物”

時を隔てて、1999年に発表したソロアルバム『RUFFY TUFFY』。その2曲目に収録された、音楽業界を歌った「心の解放区」で、ジャングルビートに乗せて清志郎はこう歌っています。「日本語でロックができるのか」=「みそ汁でオムレツ食えるの?いやオムレツにはスープでしょ」という、令和の今となってはバカバカしさすら感じる難問(?)に対して、絶妙な“味付け”で答えを出し続けてきた清志郎。同じ卵(音楽)から舶来品のオムレツを作ることもできれば、和食の親子丼、中華の天津飯も作ることができるし、どれもみそ汁との相性もバッチリ。その優秀なシェフっぷりを楽しめる料理(曲)は、大衆に迎合することなく、かといってお高く止まったレストランの味でもなく、まさに「忌野清志郎」の味なのです。

「心の解放区」は、忌野清志郎30周年記念ライブイベント「RESPECT!」でも聴くことができます。その歌声だけでなく、自ら弾きまくるギターソロの独特の間にも、清志郎だけにしか出すことができない“味”があるのです。

ラフィータフィー


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