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【音食同源】  第29回:新潟 千代鮨のとろいくらうにと GANG PARADE「とろいくらうに食べたい」

私は新潟県新潟市生まれなのですが、生まれてすぐに東京に引っ越し、現在は実家が長野県にあり、自分自身は世田谷区に住んでいるという流浪の人生のため、めったに新潟には行くことがありません。

人間、やはり生まれ故郷が恋しくなるものなのでしょうか、ちょうど確定申告を終わらせたこの時期、毎年恒例で1人で新潟に行くことにしています。ご先祖様のお墓参りを済ませ、駅前のホテルに宿泊して夜は近くのお寿司屋さんで越乃寒梅を傾ける…まさに自分にとって確定申告が終了したこの時期こそが年末のような、そんな気分で楽しみにしている新潟1人旅です。

が、、、今年はありがたいことに結構忙しいのと、なぜか反比例して金銭面での余裕がなく今だに行くことができておらず、新潟駅前にあるお気に入りの寿司屋「千代鮨」での晩酌も叶っていません。

そんなとき、私の心を見透かしたかのようにリリースされたのがギャンパレことGANG PARADEの「とろいくらうに食べたい」です。2月20日にリリースされたシングル「BREAKING THE ROAD」のカップリングとして発表されたこの曲が渋谷センター街に行くたびにガンガン流れてくるため、私の脳内では「(千代鮨の)とろいくらうに食べたい」とリフレインが止まりませんでした。新潟の空の下、日本海をバックに思いっきり「とろいくらうに食べたい」(千代鮨の)「とろいくらうに食べたい」(千代鮨の)と、合いの手を入れながら歌い踊る、オリジナルの自分用MVを脳内再生する私。しかし、いまだに新潟に行くことができずにいます。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。しかし、今ではこのまま今年は新潟に行けなくても良いのではないかと思っています。その理由は、ギャンパレの音楽を好きになってしまったからです。

まず、そもそもにいつの間にギャンパレファンになってしまったのかというと(まだギャンパレファンの総称である“遊び人”を名乗るには程遠いですが)、以前からお世話になっている音楽配信サイトOTOTOYの元副編集長であり現在は株式会社SWを立ち上げてがんばっている、西澤メロディこと西澤裕郎さんが以前から頻繁に取材していることもあり、ギャンパレのインタビュー原稿の編集をお手伝いしたりしたことがきっかけとなっています。もちろん、その前から存在は知っていましたし、前身グループであるプラニメ、POPのライヴも何度か観たことがありました。しかし、もともとアイドル界隈のことに詳しくない上にあまりどっぷりハマることに抵抗があったためか、本格的な関心はありませんでした。ところが、です。

西メロさんに誘われて足を運んだ2月23日の赤坂BLITZワンマン・ライヴがあまりにも素晴らしく、途中から会場入りしたことを心から後悔してしまうほど、私はその楽曲と彼女たちの熱いステージングに感銘を受けてしまったのです。その日以来、ぶっちゃけ毎日ほぼギャンパレしか聴いてないくらい繰り返し曲を聴くようになってしまいました。一番のお気に入り「sugar」は恐らく既に余裕で100再生くらいはしたはずです。ちなみに次にお気に入りなのは「普通の日常」そして「FOUL」です。推しは恥ずかしいので言えません。

そして、ギャンパレの魅力に触れるにつれ、より一層「とろいくらうに食べたい」が頭から離れなくなってしまいました。やたらかっこいいトラックとメロディ、そして一見意味不明っぽいですが、「とろいくらうに食べたい」という、強烈な上昇志向的ハングリーな歌詞。私が思うに、おそらく「成り上がり」期のE・YAZAWAが本来歌いたかったのはこれです。永ちゃんは「黒く塗りつぶせ」で〈俺のハートはGet No Satisfied いつもGet No Satisfied〉と、満たされない思いのたけをぶつけています。その歌詞を読み解いていくと「現状に満たされない」→「もっと有名になりたい」→「そしてお金持ちになりたい」→「そしたら何食べよっかな?」→「とろいくらうに食べたい」という図式が成り立ちます。そうです、この曲はE・YAZAWA的成り上がりイズム(成りアガリズム)を現代版にリブートした楽曲だといえるのではないでしょうか。MVを見たらまったくそんな解釈は的外れだとも言えますので、異論は認めますが言わないでください、気が弱いので。

ただし、サビのリフレインで唐突に〈とろいくらたまごも食べたい〉と挟むあたり、あまりに赤裸々な上昇的欲望を恥じてしまい、「身分相応なたまごも食べる庶民感覚も忘れたくない」という等身大の心が見え隠れします。このあたり、まだまだYAZAWAになり切れていないのかもしれません。と、思いきや、なんと次で〈あわびも食べたい〉等とのたまっています。やはり調子に乗ってしまったのでしょうか?それともセクシャルな比喩なのでしょうか。いや、そんな己を顧みたのか、最後のサビでは再び〈たまごも食べたい〉と謙虚な自分を取り戻しています。この〈たまごも食べたい〉が戻ってくることで、「もしかしたらただ単にたまご好きな無垢な方が書いた歌詞なのかもしれない」と、私はホッと胸をなでおろしたのです。

そして、今では「とろいくらうに食べたい」を聴きながら、いつか自分もお金持ちになって、新潟と言わず銀座で「とろいくらうに」を食べられる人間になりたい、そのためにはもっと頑張ろう。もちろん、すしざんまいでもかまわない。そう思うことにしました。ありがとう、ギャンパレ。ありがとう、ちゃんにしこと西澤メロディ。そしてやはり、成功とはイコールE・YAZAWAになることである、そう結論付けて脱稿とさせてください。


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