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目覚め〜幼少期

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私の高校卒業までの歴史
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#サブカル

機能不全家族と絶対服従(幼少期編5)

機能不全家族と絶対服従(幼少期編5)

園児の私には克服出来ない弱点があり、それを大いに利用されていた。
それはママによる「山梨に捨てられる」という一度実行済みの生殺与奪権のチラ見せである。
私は山梨の家、よそのオバさんの家数件。それなりに家の中はこうあるべきだという基本ルールを学んでいた。片付け、電気はこまめに消す、掃除、使った食器は洗う。

その一般的なことが母は出来なかった。

そして末っ子ということもあり子供が好きという表現方法

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夜の仕事の終わりを待つ園児の日常(幼少期編4)

夜の仕事の終わりを待つ園児の日常(幼少期編4)

ちょっと他の子と異なるのが、夜になると仕事のため知らないオバさんの家に預けられることが嫌だった。深夜になると預け先で寝てる私を親が抱きかかえながら家に帰る日常。なので寝て起きたらオバさんの家から自分の家にいる不思議現象の謎は何なのか悩んでいたぐらいに気持ち悪かったのだ。
預けるオバさんさんにもローテーションがあるらしく数人で私を請負い遊んでくれるのだが、無関心な人、子供好きな人、勉強を教えてくれる

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パパとママのお仕事は?(幼少期編3)

パパとママのお仕事は?(幼少期編3)

新しい我が家には一般的には似つかわしくないモノが沢山あった。
絶対に怪我をするから、触ったらそこから錆びるからと言って飾ってるだけの日本刀、動物の剥製数体、煌びやかな鉱物、上下白のスーツや、山梨では見ないようなドレスに似た洋服。

時代かも知れないがパパはパンチパーマで基本サングラスそして白いスーツ。そんな大人はパパしか歩いていない違和感を子供ながらに感じ、ママは私といる時でさえ知らないおじさんに

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没落貴族の私の自我の目覚め(幼少期編1)

没落貴族の私の自我の目覚め(幼少期編1)

私が私と認識出来た最も古い記憶は3歳。その頃は山梨県の韮崎市の母方の実家で暮らしていた。

その家には父も母もいない。祖父と祖母と叔父夫妻と従兄弟達。従兄弟が言うには「私は捨てられた」、祖母が言うには父と母は東京でお仕事で預かってるからいずれ東京に行くことになると。

自我の目覚めがここからなので父と母の顔は知らない(正確には忘れている)。時々電話で話す声がママという人らしい。

祖父は豪農の出な

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