はたらくことは「不安」と「希望」だ
難病といわれるベーチェット病が悪化したことで休職している私にとって、「はたらく」ということは「はたらける」体と心ががあるということだ。そして、私の場合「はたらく」ということは不安であり、社会復帰したという証。現在は休職中。
最初の数年くらいは問題なく働けていた。しかし、いつのころか口内炎は治らないし、体の疲れというか倦怠感が半端ない。関節炎、陰部潰瘍も出来始めた。痛くて痛くて動けない。何箇所か近場のクリニックや病院に行くが、原因不明。自分で調べる内にベーチェット病という病名を知った。その時は泣いた。たくさん泣いた。しかし、どこの病院に行っても症状があっても採血上問題がないからという理由で、ただただ原因不明と言われ続ける日々。最終的には性病のような扱いやなぜか心療内科への受診を勧められた。その時も、大泣きしたし、性病扱いしたクリニックの診察券は頭にきすぎてハサミでちょきんと半分に切った。
そして、陰部潰瘍が出来る度に受診していた産婦人科のクリニックから大学病院への受診を勧められる。
ようやっと大学病院の膠原科にたどり着いたのだ。家族の病歴は一生懸命調べては問診票にたくさん記入したが、亡くなった祖父の類天疱瘡だけがピックアップされたことに何とも言えない気持ちになりつつ、不全型ベーチェット病として治療を開始することが出来た。
まずはコルヒチン1錠から始まるが、やはりなかなかよくはならず、徐々に増えていく。しかし、コルヒチンだけでは難しくなり、遂にプレドニゾロン(ステロイド)が参戦。出来ることなら避けたかったが、少しでも痛みから逃れたい一心だった。それでもすっきり治ることはなかった。
いつもどこかが痛くてどうしようもなかった。
毎日朝晩痛み止めを内服したり、湿布を張ったりして、出勤していた。
ちょっとずつではあるが、治療前よりは酷い陰部潰瘍になることはなかったが、それでも痛みが「0」になることはなかった。
そんな生活しながら数年たった。
そして、コロナの到来。
ステロイドを内服しているといこともあり、副作用として感染しやすい状態の体だ。一緒に暮らしている家族に移しても嫌だということもあり、ひたすら感染しないように手洗いなどを心がけて、神経を尖らせていた。それがストレスになっていたか分からないが、微熱が続くようになった。ほかのベーチェット病の症状も悪化、痛みも鎮痛剤を内服してもどうにもならない日が続いた。主治医と相談して休職することになった。
それから何をしていたかと言われると、本当に何もしていなかった。今思えば、本当にもったいないことをしたと思う。でも、その時にタイムスリップしたとしても、何もしていなかったと思う。休んでいても、治らない症状。休職しても意味がないのかという絶望感でいっぱいだった。何をしても治らないのかと。今までは仕事をしていたから、その疲労が原因だと思っていたのだ。外から聞こえる近所の小学生の子供たちの声。陰部潰瘍ができる自分は女としてもだめだと思うようになり、子供を持てる家庭も持てないという悲しさ。徐々に自暴自棄になり始めていた。
だが、初めての下血が訪れる。
その日は特に腹痛が強いなど何ともなかった。
翌日の朝一で大学病院に連絡し、状況伝える。病院に到着後採血やCTの検査を行うが、検査結果は異常なしと言われる。消化器内科にもかかるが逆に便秘なの?と言われる。詳しく調べるなら、大腸カメラをという話になるが、異常ないと言われて、やる必要あるのか?と考えてしまい、様子見ることに。今考えればやれば良かったと後悔ばかりだ。
その受診後はCT造影剤の副作用で頭痛と吐き気に苦しんだが、翌日は落ち着いた。しかし、下痢が止まらない。その日以降、下痢が落ち着いたり、腹痛で苦しんだり、下痢だったりの日々だった。でも、検査上問題ないと言われているのにまた行くのもと渋る。そんな毎日だった。でも、この下痢の原因を突き止めないと職場復帰も出来ないとも考えていた。
また、受診日が来た。今までの主治医(2人目)は転勤になり、代わりに新しい主治医とご挨拶(3人目)。下血後の経緯を報告。
「大腸カメラを考えてください。CRPが少し上がってます」
確かに上がっているのだが、1にも上がっていない。でも、今まではそこまで上がっていなかった。迷うが検査しても異常ないということにこだわってしまった。お腹も落ち着いてきたし…。新しい主治医はお腹の症状をとても心配していたが、カメラは見送ることに。再度1か月後の受診で決めることになった。
その後、やはり時々下痢と腹痛。時々というのがやっかいだった。過敏性腸症候群なのでは?それで大学病院で検査してもなあという気持ちだったが、家族の説得と職場復帰のためにと思い、代行の先生だったが大腸カメラをすることになった。ちなみに、やっぱりCRPは前回よりも下がっていたが、基準値よりは上がっていたのだった…。
その日からカメラまで1週間地獄だった。あんなにしぶしぶに受け入れた大腸カメラ。すっきり早く終わらせた方がいい思ったのだが、すぐには予約は難しかった。あまりにも腹痛が酷く、徐々に食事も難しくなっていった。最終的には食べない方がマシだと気づいた。午後は少し痛みは落ち着くが夜から悪化し、眠られず昼夜逆転にもなっていった。
カメラ当日。排便が始まった途端下血。驚くほど真っ赤。消化器内科の看護師さんとも相談するが、「その原因を知るための検査だから頑張りましょう!」となる。後半は下血も落ち着き、何とか便も綺麗になったためカメラへのGOサインが出た。
検査中も色々あったし、内視鏡の先生にも看護師さんにも迷惑もかけたが、結果腸管に潰瘍があった。
カメラの痛さと疲労でぐったりしていたが「あれ?これって割とやばくない?」と、自分でも思うほど酷い潰瘍のように見えた。しかし、「潰瘍あったね。生検だしますね」くらいで終了。うーん。とりあえず、明日膠原科で主治医きてるし、腹痛酷すぎるしということで、また受診。いやはや、行ったり来たりで疲れる。送迎してくれている家族にも申し訳ない。その夜もまた腹痛で苦しんだ。
「入院してください」
翌日、主治医からそう言われた。「入院は嫌です」とわがままを言ったが、潰瘍が酷く、穿孔の危険性もあるし命にかかわってくるしと入院決定。入院中の話も書くと、あまりの長文になるため別に書こうと思う。
入院中も色々あった。たくさん泣いた。
先生にも看護師さんにも泣きついて、たくさん迷惑もかけた。
同室者の人たちにたくさん救われた。
謝罪と感謝しかない。
絶食よりも下血と腹痛が辛かった。
一人でトイレにこもって下血が止まらず、酷い腹痛と吐き気に耐えたことがトラウマになった。
初めて輸血した。
もう二度とこんな思いはしたくないし、こんなに辛くてどうしようもないのにコロナの感染防止のため家族にも面会禁止という状況。泣きながら家族に電話をしていた。精神的にもきつかった。
退院して数日は泣いていた。
あんなに家に帰りたかったのに、症状が再燃したらどうしようという不安が強く泣いていた。
自宅療養中から2カ月たつが、なかなかすっきりとは症状が消えてくれないので今も不安になる。絶食を2週間くらいしていたら、驚くほど体重と体力が落ちた。
よくダイエットしなきゃと言う若い可愛い女の子がいるが、いつかは食べれなくなって、ガンガン体重が落ちる時が来るかもしれないので、食べたいものを食べるべきだと囁いてあげたい。
毎日毎日、以前色々なところで買ったお守りにお祈りをしている。
「ありがとうございました。今日も下血なく、腹痛もそこまで酷くなく過ごすことが出来ました。明日もどうか、下血なく、腹部症状も悪化なく落ち着きますように。ほかの症状も落ち着きますように。そして、新たな症状や病気の悪化や新たな病気になりませんように」などなど。
早く職場復帰したい。社会復帰したい。
働きたい。
前みたいに働けるようになりたい。
そして、同時に症状への再燃が不安になる。この病気で生活で気を付けることはストレスをためないことも大事。
ストレスのない生活って?
働くようになると、嫌でもストレスが増す。
今回だって、休職していてもどんどん病状は動き、腸管型ベーチェット病が出現してしまったのだ。
じゃあ、働いたらどうなる?
難病で働けない自分よりも、働いている自分の方が希望が持てる。
でも、不安なのだ。
私にとって「はたらく」ことは、希望が持てることだ。社会復帰したという証。社会に参加できる、自立しているという証だから。
そして、外とのつながりが持てる。リアルで家族以外の人と繋がれる場でもある。
しかし、同時に不安要素だ。症状が再燃する可能性があるからだ。
不安でたまらないのだ。
経済的にはキツイがそんな思いまでして、「はたらく」必要があるのか?
病気が悪化してまで、「はたらく」必要があるのか?
今、私は人生迷走中だ。
だいたい「はたらく」って何?
以前の私の返答は「社会復帰したという証」だ。そして、将来への希望だと答えていたかもしれない。
しかし、自分の体を犠牲にしてまで社会復帰する必要があるのだろうか?
症状が悪化してまで行う必要があるのだろうか?
生きるためには、お金を稼ぐためには必要なことなのに、働くことで体を犠牲にして、症状が悪化して内服薬が増えて、結局医療費がかかるという矛盾。
現に、症状が悪化して、腸管型ベーチェット病が現れたことで薬が大幅に変更した。効果はあるのだが高額な費用だった。薬局で領収書を見たときは、高額すぎて「ふぉおおおおおおお?!!」と叫んだ。心の中で。難病申請が通ったので助成金は出るのだが、それでも健康体ならば毎月そこまで医療費で出費することはないはず。
「はたらく」とは?
たぶん、永遠に自分に問いかけ続けるテーマだ。
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