いつも思い出すのは中学時代

過去に思いを馳せるとき、「あの頃は良かったな」と必ず最初に思い出すのは中学時代。
とりわけ中学2年生の頃。

クラスが変わり、にぎやかなメンバーがなんとなく揃っていて、生徒にも人気の若い女の先生が担任になった。
元々、注目されることは苦手だったが、勉強好きでリーダー気質を持っていたあの頃は、学級委員や班長、生徒会なんかにも積極的に立候補していたため、どうしても目立つ存在に変わっていった。

テストの点数はいつもクラスの上位、リーダーもそれなりにこなし、学年では結構モテていた。
そりゃ楽しいはずだ。
いま考えれば、何も怖いものなんてない。

特に印象的なのは学校行事。
体育祭や文化祭では、当然リーダーに立候補し、夏休みに集まって話し合いをしているときの光景がいまでも目に浮かぶ。

リーダーといっても、一番目立つポジションにはなれかった。
「やりたい」という憧れはあったものの、私よりもふさわしい人がいる気がして、誰かを押しのけてまで前に出る図太さは持ち合わせていなかった。
というよりも、そこまでの自信が無かった。

そんな性格をよく理解してくれていた担任の先生から、「裏方をやってみれば?」と提案され、あまり興味はなかったのだが、体育祭で音響の役をやってみることにした。
全員の前に立って指示を出す派手な役回りではないが、集団から離れた場所で全体を俯瞰して見ることで、新たな気付きがたくさんあった。

文化祭では、伴奏者を選んだ。
指揮者ほど目立つ存在ではないが、ピアノを弾きながらクラス全体の歌声を感じることができる。
一歩離れたところから全体を見渡せるポジションにいることが好きだった。

この時のクラスは、指揮と伴奏はもちろん、クラス全員が合唱に全力を注いでいた。
歌声の大きさ、強弱、ハーモニー、表情、その全てが理想のかたちに出来上がり、その仕上がりの満足感はこれまでに経験したことがないほどだった。

その後、「この歌を合唱で歌いたい!」という後輩たちからのリクエストが何年も続いたらしい。


「目立ちたがり」というのは、思い込みだったのかもしれない。

絶対に文句や愚痴を言わず、なんでも淡々とこなす父に憧れがあったせいか、小さい頃から「曲がったことが嫌い」「いいことも悪いことも全て自分に返ってくる」といった考えが染みついていた。

学生のうちは勉強が仕事だと思っていたので成績が良かったし、誰かが悪いことをしたり言ったりしているのが許せず、つい口を出してしまう性格だった。

そんな言動が良くも悪くも目立つ要素となり、周りから憧れられたり、先生から好印象を持たれていることが自信につながり、みんなの手本となるのが自分の役目のように感じていた。


しかし、そもそも目立つことは好きではなかった。
むしろ注目を集めるのは苦手だった。


リーダー=前に出て目立つ役回りをすること

ずっとそう思い込んでいたが、担任の先生の言葉をきっかけに、「自分にとってのリーダー像」を体験することができた貴重な3年間だった。



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