大学で所属していた生協学生委員会。 2回生の冬になり、次の委員長を決める時期が来た。 立候補が無かったので、同回生15人ほどの中からそれぞれ推薦者を募ることになった。 わたしを含め、3人が同数票で候補に挙がった。 何となく何人かから推薦される予感がしており、いざ決めるその時になると緊張した。 候補の中のひとりは、他の部活との兼ね合いで無理だと辞退した。 もう一人は、どっちでもいいよーという感じでちょっと無責任なところがあった。 「それなら私がやろう!」 そう決心し、委員
念願のひとり暮らし。 希望に満ち溢れた大学生活が始まった。 大学での4年間は、私にとって人生の宝物と胸を張って言えるくらい充実した時間だった。 信頼し合える友達、尊敬する先輩、可愛い後輩たちに出会えたおかげで、内面から変わり、周りへの「感謝」無くして生きていけないことを学んだ。 大きなきっかけは、バレーボール部に入ったこと。 部活といっても経験は問わず、決まった時間に来たい人だけ集まって楽しくバレーボールをするサークルのような雰囲気だった。 中学でバレーボール部に所属して
高校時代の記憶はあまりない。 貴重な青春時代の3年間のほとんどを「勉強」で埋め尽くした。 もちろん、成績を上げるため、良い大学に行くためではあったが、勉強を逃げ道にしていたのかもしれない。 なぜこんな生活をしていたのだろうか? ひとつは、中学ほど簡単に点数を取れなくなったから。 中学校のテストでは、いつも難なく90点以上取れていたのに、高校ではそううまくいかなかった。 どの科目も優劣なく得意だと思っていたが、数学だけは明らかに苦手科目だった。 先生が教えてくれる内容は
過去に思いを馳せるとき、「あの頃は良かったな」と必ず最初に思い出すのは中学時代。 とりわけ中学2年生の頃。 クラスが変わり、にぎやかなメンバーがなんとなく揃っていて、生徒にも人気の若い女の先生が担任になった。 元々、注目されることは苦手だったが、勉強好きでリーダー気質を持っていたあの頃は、学級委員や班長、生徒会なんかにも積極的に立候補していたため、どうしても目立つ存在に変わっていった。 テストの点数はいつもクラスの上位、リーダーもそれなりにこなし、学年では結構モテていた。
特技「3日坊主」の私が、また新しいことを始めた。 今回は、3日と言わず1週間ほど続いていてなんとも気分が良いので、 いつも以上に自分に期待している。 大きな変化は、早起きを始めたこと。 旦那の仕事は朝が早いので、5時30分頃にアラームが鳴る。 眠い目をこすりながら、私も起き上がって弁当や着替えの準備をするのだが、保育園への出発にはまだまだ時間に余裕があるので、旦那を送り出すともう一度布団にもぐることが多かった。 その習慣をやめ、旦那の起床と同時に私も1日のスタートを切る
喘息持ちのハル兄は、最低でも月に1回は病院に行く。 何も症状がなければ、簡単な診察をして決まったお薬をもらうだけなので、 病院へ行くのをぐずることはなく、むしろちょっと楽しみにしている。 名前を呼ばれると診察室に入り、 聴診器で胸と背中の音を聞いて、 最後は大きな口を開けて喉を見てもらう。 診察が終わって待合室で少し待つと、受付からまた名前を呼ばれ、 お金を渡して処方箋をもらう。 毎回同じことを繰り返すうち、完璧に流れを覚えてしまった。 「今日、病院行くでー」と言う
今回は子どもたちではなく自分の話を。 かれこれ7、8年ほど前からずーっと仲良しの年下の友達。 アルバイト先で一緒になり、当時彼女はまだ20歳で現役大学生だったのに、気づけば先週27歳を迎えたとか。 SNSで気になる内容を見たので、久しぶりに電話し、長々と1時間ほど話した。 色々あっていま入院中とのことだったが、あと2日ほどで退院できる様でひと安心。 そして、彼女はいつだって衝撃仰天ニュースを用意してくれている。 今回の大発表はこれ。 「近いうちに結婚する」 彼女は
先日、長男が3歳の誕生日を迎えた。 週初めの月曜日、いつも通り少々ぐずりながらも保育園へ登園。 その日は2人の参観日だったので、 前半は0歳児クラス、後半は2歳児クラスへ。 親の姿が子供達に姿が見えないように、画用紙が窓全体に貼られ、目の当たりが何箇所かくり抜かれている。 部屋の前に着くと、軽快な音楽と共に子どもたちの楽しそうな声が聞こえた。 ニコニコしながら楽しそうに踊る園児の中に、息子の姿を見つける。 肩にお誕生日の印であろう、カエルのぬいぐるみが付けられていて、
これを書き始めたのは、1ヶ月前。 ダラダラしているともう6月になっているではないか。 今年のゴールデンウィークは、子供達と3人で 約2週間実家に滞在した。 旦那はずっと仕事なので、休み中どこへも遠出できない状態で、2人の面倒を見るなんて考えただけでゾッとする…… 到底、体力気力共にもたないので、 送り迎えしてもらって長期帰省することとなった。 セイちゃんの里帰り出産以来の実家で、定期的に両親は大阪に来てくれるとはいえ、8ヶ月になったセイちゃんにメロメロ。 大人しく1人
ここ最近、 「せいちゃんいや!」 が口癖のハル兄。 自分のおもちゃを触られるのいや! ずり這いで近寄ってくるだけでいや! パパの横に寝てるのもいや! ママが膝にのせてるのもいや! 挙げ句、バンボに座るだけでいや!(セイちゃん用の椅子なのに) 少し目を離すと攻撃することもあるので、 注意深く見守らなければならない。 しかし、セイちゃんも負けてはいない。 おもちゃを奪われたり、少し押されたくらいではへこたれず、再度アタック! 押し返されてもヘラヘラ笑っている時もある
何を書こうか迷っているうちに、 また日が経ってしまった。 育児記録を綴っていこうと決めたので、まだ記憶にあるうちに2人の子どもの出産を思い出して残しておこうと思う。 1人目の妊娠が分かる日の前日。 そんな予感が何となくしていたので、「当分は飲めなくなるのかなー」なんて思いながら、仲の良い仕事仲間たちと楽しく飲んでいたことをよく覚えている。 お腹の中で順調に育っていく息子の様子を定期的にエコーで確認し、安心しきっていた妊婦生活。 しかし、予定日が近づくほどに、「これは
お年玉っていつまで貰えてたっけ。 もう随分と昔のような気がするし、 今ではすっかり「あげる側」となってしまった。 毎年、お正月にはいとこが遊びに来たり、 初詣のあとにはおばあちゃんちに行ったり。 あまり会えない人たちに会えるのは、 楽しみなようで少し緊張もあった。 豪華な晩ごはんやおせちをみんなで食べて、 毎年いろんなキャラクターや干支の付いた 可愛いポチ袋でお年玉を貰うのが恒例行事。 子どもの頃のお年玉は、 全額「貯金」と決まっていた。 年齢による金額アップで、
ほら、また。 3日坊主とは言わないけれど、 気づいたら日が開いてしまっている。 本当に昔からそうだ。 最初の意気込みは人一倍なのに、 何かイレギュラーなことが起こると、 「今日はいいや」 「また明日からにしよ」 なんて、適当に言い訳して時間が経ってしまっている。 もう、ずーっと直らない性格なので、落ち込んだりもしない。 なぜかというと、 3日坊主を繰り返していけば、1週間、1ヶ月、 半年……と累計されていくのでは? という勝手な持論で納得してしまっているから。
一度は考えたことがあるであろう、 「将来子どもにつけたい名前」問題! 問題でもなんでもないのだけれど、 中高生くらいからそんな妄想が始まる。 男の子verと女の子verで 2パターン考えることが多いだろうが、 どちらでもいけるパターンってのもある。 わたしが記憶する限り、 高校生くらいから決めていたのは、 「ハル」という名前を付けたい、ってこと。 できれば表記の通り、カタカナで。 理由はすごく単純で、 当時好きだったドラマの主人公の名前だから。 ヒロインが、その主人
20代はフリーターの時期が長かったので、 好きな服を着て、 好きな髪色にして、 好きに友達と遊んで、 好きな時にご飯に行って、 そうやって、自分の機嫌を取ることができた。 結婚して子供ができたいま。 簡単に1人で外には行けないし、 「着たい服」より「動きやすい服」、 子供の急な熱で、ドタキャンしてしまうことが 多いので、友達と約束するのも気が引ける。 今だけだから仕方がない、とは思いつつ、 ガマンばかりだと気分も落ちてしまうので、 なんとか自分の機嫌を取る方法を考え
「経験済み」なことに関して、 1人目と2人目では圧倒的に心の余裕が違う。 特に、産まれてからすぐにぶつかる 「なぜ泣いているのか分からない問題」 もう記憶も朧げだけど、 1人目のときは泣いたらすぐ抱っこ! ミルクも飲んだし、オムツも変えたし、 ウンチも出てるのに、全然泣き止まない。 夜中なんかは、どうしたらいいのか分からず、 自分も眠くて泣きそうになりながらとにかく抱っこであやすしかなかったような。 それが今では、 少しくらい泣いてても動じない母。 ぐずってるのか、