「憧れ」が全ての原動力

大学で所属していた生協学生委員会。
2回生の冬になり、次の委員長を決める時期が来た。

立候補が無かったので、同回生15人ほどの中からそれぞれ推薦者を募ることになった。

わたしを含め、3人が同数票で候補に挙がった。
何となく何人かから推薦される予感がしており、いざ決めるその時になると緊張した。
候補の中のひとりは、他の部活との兼ね合いで無理だと辞退した。
もう一人は、どっちでもいいよーという感じでちょっと無責任なところがあった。

「それなら私がやろう!」
そう決心し、委員長になることを決めた。

みんなに注目されるのは苦手だし、話すのも得意ではない。
不安要素しか無かったのだが、覚悟を決めることができたのは、ある先輩の存在があったからだ。


私が通っていた大学の近辺には他に2つ大学がある。
3つの大学の学生委員会が集まって、年に一度セミナーが行われていた。
先輩がこれまでの学生委員会での経験を語る「分人会」の時間で、他校の2つ上の先輩の話を聞いた。

髪が明るく、いかにも大学生っぽい見た目のYさんは、はじめは学生委員会の活動にそれほど熱心ではなかったという。
確か、2回生の途中くらいまでなんとなく所属していただけと話していた。
しかし、そこから1年も経たずして、大勢の前で経験談を語るメンバーに選ばれるほどの変化があったということだ。
そして、私はYさんの話にとても引き込まれていた。
話し方、声、表情すべてがリラックスした雰囲気で、聞く側も肩の力を抜くことができ、一緒におしゃべりしているような感覚だった。

そんなYさんが、自身の大学を引退後、他大学の後輩をサポートする役割として、私の大学を担当することになった。
あの憧れの先輩が、とても身近な存在になったことがとても嬉しく、部会を見に来てくれた時は、自大学の先輩よりもYさんに相談することの方が多かった気がする。

こんな人になりたいと思ってた。
リーダーとしてはもちろん、人として憧れていた。


もう一人、大切な人がいる。
大学生協本部から時々様子を見に来てくれるMさん。
ダンディな見た目で、所作すべてがスマートな完璧すぎる大人だった。

私の通っていた大学はとても小さく、大学生協に正規職員がいなかったので、学生委員会の活動に関して気軽に相談できる相手がいなかった。
Mさんは定期的に大学の様子を見に来てくれていたので、その時を狙ってみんな企画を提案したり、悩みを相談しにいっていた。
いつ来てくれるか分からなかったので、「Mさん今日見た?」と学校中でみんなが探していた。

運よく捕まえられたとしても、話ができるのは数分。
話の内容を素早く理解し、的確に問題点を指摘してくれるのだが、最後には決まって「〇〇はどうしたい?」と本音を聞いてくれた。

委員長になって相談する機会が増えていくと、委員会活動とは関係ない話もするようになり、服のコーディネートがおしゃれだとよく褒めてくれていた。
食事に連れて行ってくれたこともあり、大学生では到底行けないような高級なお店ばかりでいつも緊張していた。

Mさんとの時間は、委員長の特権だった。
学生委員会活動では経験できない、大人の仕事のやり方を近くで見せてもらうことができた。
「仕事」としての大学生協活動を知り、社会の厳しさを目の当たりにしたと同時に、いま学生という立場でのびのび活動ができる、恵まれた環境への感謝の気持ちでいっぱいになった。

こうして、委員長の代を支えてくれた人たちのおかげで、1年の任期を全うすることができた。

しかし、これで終わりではなかった。
引退となる3回生の夏合宿前、学生事務局という現役の学生員会をサポートする先輩組織の方々から、次の代にならないかという誘いを受けた。

憧れのYさんがいたところに私もいけるのか!
そう思うと嬉しくなり、深く考えずにその場で「はい!」と返事をした。

気が付くと、また次のステージへと進んでいた。










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