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父の死から、まだ、前を向けない。
2021年の冬に、父を亡くしました。今は2023年の春。
通夜も葬儀も、何だか慌ただしくて(突然のことだったので)、バタバタとしているうちに、終わってしまいました。
初盆も、納骨も済んで、ちいさなお仏壇が実家に据え付けられました。
時々、ぽっかりと穴があいたように寂しい気持ちが襲ってきて、涙がじわじわと浮かぶようになりました。1年もたって、やっとです。やっと、悲しいだとか、寂しいだとかを実感しはじめたのだと思います。
私はわがままばかりして、何もしてあげられなかったな、とか、コロナ禍になって一度も会えないままだったな、とか。後悔ばかりがよぎり、悲しい寂しいだけでなく、苦しい思いもあります。
飛行機の距離に住んでいるからと、1年に1度の帰省にしていましたが、寂しかったのかもしれないとか、自分の趣味の時間を取るぐらいなら、父や母のために手紙の一つでも書くべきだったのではないかとか。せめて、孫の様子をおさめた写真やビデオやをもっとまめに送ればよかったとか。
この10年ほどで、どんどん技術が進歩して、写真を紙焼きすることもなくなり、ビデオも専用機ではなくて、スマホで撮るようになったため、スマホを持たない親に、DVDや紙の媒体にして送るのが面倒になっていたのは大きいです。まあ、適当にたまったら送ればいいやと言いつつ、子どもが小学生になってからちっとも送らなかったことを後悔しています。別に大した手間でもないのに、何で怠けたのだろうと。
本当に、最近は気持ちがとことん後ろ向きで、子どものために、独居している母のために、前を向いていかなければと思いますが、なかなか難しいです。
父が亡くなった後も、軽症ですがコロナに罹患したり、夫がリストラの憂き目にあったり、子どもが不登校になったり、本当に厄年が何年続くのだと思うぐらいの目にあっているんですが、禍福は糾える縄の如しと言うので、また笑える日がきっと来ると信じたいです。
身内の死によって負った心の傷が癒えるのに、何年もかかる人がいるというのも、理屈ではわかっていますが、難しいですね。
とりあえず、たくさんの後悔を、自分の中だけにためておいては苦しいばかりなので、noteに書き出しておくことにしました。
こんな私のようになる前に「あ、孫の写真をもっと送ろう」とか、お子さんがいなくても、親御さんが近ければ「顔を見せようかな」とか、思ってもらえると、少しだけ、誰かの役にたつと思うし、それで私も救われる気がします。