第二歌集『鬱と空』 奥村晃作鑑賞【後半】
それでは今回は第二歌集『鬱と空』の後半になります。
昭和五十五年(1980年)
鮟鱇
螢光の青光に背をば照らされて水槽一杯に浮かぶ鮟鱇
ボールペン
はつきりとこつちがいいと言ひくれし女店員が決めしボールペン持つ
金魚
学校の玄関傍の用水に氷が敷きて金魚ひそめり
受験
熱退かぬ子の負け心見定めてけとばす如く学校に遣る
ラッパ水仙
木蓮の丈低き木の幼木がふつうの大きさの花咲かせをり
朝の教員室
いつもいつも世界史の鹿野先生は一時間かけて朝日新聞読む
今岡正道先生
酒飲めば老爺の如く和やかな赭ら顔にて声も弾めり
煙草の害しつこく説ける世に経りて煙草の徳を言ひ出でよ誰か
フラミンゴ
フラミンゴ一本の脚で佇ちてをり一本の脚は腹に埋めて
ゆるゆると水中を行く真鯉らのどれも体のどこかがいびつ
デモの河
弁当の空箱詰まる金網の屑籠に群るる夕雀たち
集会の声の渦湧く森過ぎて無人のバスの並べるを見つ
地響を上げつつデモの河が行く広き車道の半ばを占めて
強権と民衆
右旋回つづく世に経り金大中殺めんと狙ふ強権の層
日曜の静寂を裂きて軍服を着る者ら叫ぶ自動車の行く
自由民主党支持する選挙の厚き層ののつぺらぼうのこの層は何
富士山
遊べるは中学少女ばかりなり浜は熱き砂われは身を焼く
この夏はをかしな事件続発す富士山で石が人を潰せり
犬
犬用のシャンプー凄し犬が持つけものの臭忽ち消しぬ
昭和五十六年(1981年)
わが犬、その名はプッキー
路角の出合頭にプッキーが秋田犬と狂ひ妻転倒す
石のベンチ
太陽はいまわれに照る公園の石のベンチに身をのすわれに
河口湖
きぞの夏巨石を飛ばしてにんげんをあやめし富士の山かとぞ見る
水鳥のからだの羽が油の如く水を弾けり水上の鳥
日翳れば忽ち寒し湖のおもて吹き来る風に向かひ立つ
ハゲの男
鮮明な黒と黄の縞ゴムまりの如くに脹らむ蜘蛛の胴体
あれで妻、母かと思ふ梅の木の下で茶を注ぐおかつぱ少女
中年のハゲの男が立ち上がり大太鼓打つ体力で打つ
鬱王
歌詠みて心の鬱をば解きほどく繰返しならんわれにわが歌
体操のテレビの少女ら清しければ体曲げつつ微笑まずともよし
赤信号の路
にんげんが創りし地上のくさぐさは見ずにひたすら地を嗅ぐ犬
よろこびのかぎり尽くすか犬の耳二つの耳がぴつたりと伏す
妻怒りわれも怒りて打ち据ゑし犬は夜鳴きす野に返るごと
沖縄
われの子の少女高二の十七歳これなる年齢に果てし少女ら
車座に家族ら寄りて央に置きし手榴弾もて果てしと記す
背の低き人
身の丈の息子も妻の丈超えて背の低き人となりにき妻は
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『鬱と空』後半から35首引いた。
本作は昭和53年(1978年)〜昭和56年(1981年)の歌で奥村先生は当時42歳から45歳。4年間の作品477首を収めたものである。自身は中年に差し掛かり、子どもたちは受験を迎える年頃に成長している。
「強権と民衆」の連作は、隣国、韓国の1980年に起きた光州事件に触れたものだろう。当時の殺伐とした様子や金大中の存在感が生々しくイメージとして伝わってきた。光州事件というと、韓国映画の『タクシー運転手 役約束は海を越えて』が記憶に新しい。事件当事者でなくとも、激動の同時代を生きる歌人として、見聞きし感じたその瞬間の「心」を詠むことはやはりとても重要な仕事だと思う。
今回も動物や花の歌が独特の光を放っている。
木蓮の丈低き木の幼木がふつうの大きさの花咲かせをり
ゆるゆると水中を行く真鯉らのどれも体のどこかがいびつ
若干余計なお世話というか、なんとも言えない情緒とユーモアのあるこちらの2首。ざっくりとした解像度で世界を見ていたら気にも止めないようなことをものすごくクローズアップして指差している。そして私たちは常に一定の枠組みで事物を見て決めつけていることに気付かされるのである。世界のはみだし部分を指摘しているようだが、こうした現実世界の尊い一部分に気づき、引き出し、歌い上げるのは歌人ならではの大切な営みだと改めて実感した。
次回は第三歌集『鴇色の足』について取り上げます。