第二歌集『鬱と空』 奥村晃作鑑賞【前半】
現代ただごと歌の提唱者として著名な歌人、奥村晃作の歌集を第一歌集から鑑賞。前回は第一歌集『三齢幼虫』、今回は第二歌集、『鬱と空』です。
奥村晃作
1936年生まれ。長野県飯田市出身。宮柊二に師事。元「コスモス」編集委員・選者。江戸時代の近世和歌の研究を通じて「ただごと歌」を世に認知させた。「現代ただごと歌」を提唱し、実践。現在、第18歌集『象の眼』を準備中。毎日Twitterで新作の歌を発表されている。
日本文学全集『近現代詩歌』(2016)に掲載の、穂村弘による紹介文を一部抜粋します。↓
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第二歌集『鬱と空』奥村晃作歌集 石川書房 昭和58年
昭和五十三年(1978年)
老人
男らがボインとぞ呼ぶ乳房なり下半分を布で締め上ぐ
酒煙草珈琲ものみて欠かさずに毎日のみて仕事に励む
紅白の歌合戦はくだらぬと言にせど妻も子もわれも見る
通勤電車
もみくちやのにんげん詰め込む準急の箱が目前を轟々と過ぐ
もし豚をかくの如くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし
憲法第九条
キツイキツイと声の起これど生徒等に憲法第九条の暗唱を課す
前に立つ三人の女子高校生なかの一人がことにうるさし
剛
墓地の路行きすがひたる少女にてランドセル背にわれを見返る
おしのごと静けくなりて自が室に半日こもる子を覗き見ぬ
S君
転校を拒みつづけてその家庭守らむとせしか幼き胸に
セックスの不和しんけんに争ひて別れし二人に子がゐたりけり
プラスチックの容器
ヤクルトのプラスチックの容器ゆゑ水にまじらず海面をゆくか
成田新国際空港
一匹の蟻もとほさぬ空港の入口の扉の前に立ちたり
われを見てゴキブリの奴ぽつとりと壁からはがれ身を落したり
昭和五十四年(1979年)
白木蓮の蕾
四十二歳は厄年かオレはその年齢に家を建てたと叔父が言ひ出す
上質のハム一片を呑み込みて次を促す緑き犬の眼
帰省
肉太の若き女のかなしみはかなしきゆゑにもりもり食ふか
壮年
妻も子も気味悪さうに眼の上の水疱見つめて医者に行けといふ
きりきりと顔面いたむヘルペスをわが生様の証とぞする
根詰めて歌直す時むづがゆし眼の上の粒ヘルペス軍団
インフレ
股下に秘処をば持つ女といふ生きものいまだにわれの苦の種
尾鷲(二)
臓物を抜き捨て皮を剥ぎ捨てて真水に鯔の白き身洗ふ
舟虫の無数の足が一斉にうごきて舟虫のからだを運ぶ
青葉
樹木らの青き葉群が空かくす涼しき洞のベンチに坐る
戸田橋の上
降り出して一週間か朝昼夜止まず落ち来る雨は空から
将棋
いつも一人で勝手に振舞ふ人なりとわれを説明する妻の声聞ゆ
真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体はそれで佳しとして
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『鬱と空』前半27首、好きな歌を紹介いたしました。
奥村先生の歌の、“女性について容赦ない”感じが私は大好きです。
今回紹介した歌の中でも、冒頭の一首目と、女子高生がうるさいという歌。
奥村先生は女性に限らず、中年男性や子ども、動物とあらゆるものについてまっすぐな眼差しで歌い上げられていますが、特に女性、少女、妻についての、余計な配慮のない、あっけらかんとした歌いっぷりが痛快で、心に響きます。それらが特に光って見えるのは私が女性だからかもしれません。腫れ物のような扱いでも、神秘的な扱いでもなく、他の存在物と同じように、土臭く血の通った存在としてラフに描かれている感じが何とも気持ち良いです。
次は後半、昭和五十五年、昭和五十六年を紹介します。