焼き芋とドーナツ 前
おやつの話とは思わないで
題名を見たとき、お菓子の歴史書みたいと思ったものの
副題、帯を読んで、知っておくべきことが書かれていると直感して購入
もうすぐ登場する五千円札の津田梅子が感じていたこと
きっと読んだ女性には響くはず
幕末~明治にかけて、日本人は他の国に統治されることを
避けるためにも世界をみる必要があった
産業革命とともに共同的困窮から貧困が生まれてきたこと
そして、畑で一緒に汗をながしていた共同体は
賃金労働という個人になり、女性は単に労働力として扱われることになる
それでも世界を学んで帰ってきたひとたちは、女性の教育の大切さを知り
それを促進する行動をとっていたのだ
大きな時代の変化としての明治からの時代
工場労働のために多くの女工たちの生活という日常茶飯の世界から
当時の女性たちの考えや希望、諦めや悔みなどを読み解いている
それは、100年以上前の話、新札の肖像画になる昔のひとの頃の話ではなく
その新札が流通する世界の問題が同じことを含んでいると感じるのは、
私の浅はかな妄想だろうか
産業革命の結果
産業革命後、日本でも多くの経営者が工場生産をするようになった
紡績は中でもこの時代(明治~大正)大きくなっていき
労働力として、田舎の女性たちが都会へ働きに出てくる
映画「ああ、野麦峠」もこの頃の話で、岐阜県飛騨から
長野の険しい山を越して
(野麦峠は長野県にあり、現在スキー場やキャンプ地となっている)
製糸工場の女工としてわずかな契約金で働く娘たちの話
当時工場は、壁に覆われていて、その壁の内側で生活し働いていた
つまりは住み込みで、「ああ、野麦峠」の中でもあるように
与えられる食事の栄養が悪く、体調を崩すもの多く、また結核など感染症の蔓延もあり、労働力としての価値、また本当に女性たちの健康を考えるひとも出てきて、栄養学や勤務時間などの取り決めが行われるようになってくる
アメリカでも同じく、マサチューセッツ州の大きな紡績工場に
住み込みで働く女性たちが多くいた
その後、移民が多く、住む場所が足りない、家族のある女性たちが増え通い労働になっていく
産業革命、経済発展では同じような進み方をするのだろう
日本の農村でも アメリカの開拓村でも生活は困窮していたが
男女の差はなく、肉体労働として村での共同体として、支えあった生活があったが
困窮から脱するために、娘を労働力として、口減らしの意味もあったかと思う、女工として契約してわずかなお金を得るようになる
焼き芋は、初めて自分のお金を持った女性たちが買ったおやつの代表だ
大判焼きやまんじゅうなど、空腹を満たし甘さに癒される喜びを感じていたのだろう
企業という大きな家族
大勢の女性たちを雇用した企業家の考え
企業内教育制度、福利厚生制度を整備してきながら
二つの考え方があった
大家族主義企業と言われた鐘淵紡績会社社長の武藤山治
慈恵的家長的な「経営家族主義」「温情主義」の実践者だが
男性労働者中心の考えで、
一方、倉敷紡績の社長であった大原孫三郎は、労使を対等とみる「労働理想主義」を主張
飯場が会社から職工賃金を受け取り、食費やその他を差し引いて職工に渡していた搾取や暴力支配があった状況を工場の直営食堂に変え、寄宿舎でなく職工社宅村を建設
1903年にアメリカで全国女性労働組合連盟は発足
日本の労働運動をおこしていた鈴木文治が渡米して学んできたこと
現代でもまだまだあるジェンダーギャップができてきた過程は
家長制度によるところが大きそうだ
明治の終わりから大正、昭和にかけて
女性の労働力は、少なからずも日本企業を支えてきたにも関わらず
内助の功、健康な子を産み育てることが「良妻賢母」として
教育されてきたこと。
女性が自分の意見を言う「わたし」という一人称で話す場をもたされなかった
女性として、知っておくべきことだと思う
長くなったので次へ続きます
後編
https://note.com/smilove_mini/n/nce99e1f77ff5