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もしも村内先生が現実世界にいたら

少し久しぶりの投稿になります。
今回は、ある小説の主人公について書いていきたいと思います。

 重松清が書いた小説『青い鳥』。そこには、村内先生なる中学の国語教師が登場する。彼は非常勤講師であり、様々な学校を転々とし、そこで彼との対話を必要とする生徒と向き合う。

 村内先生は、普通に考えてみると「素晴らしい教師」とは言えないかもしれない。彼は、話すときに言葉の最初をよくつっかえてしまう。「吃音」と呼ばれるものだ。「カ」行と「タ」行は特にひどくつっかえてしまう。だから、しゃべるのにとても時間がかかってしまうし、生徒にとっては聞き取りにくいだろう。

 彼は、それでも喋り続ける。生徒に伝え続ける。しゃべるのに息が詰まりそうなくらい苦しい思いをしても。たくさんは喋れないから、彼が授業で話すことは、たいせつなことだけだ。だから、一文一文に重みがある。

 村内先生は、物語の中で助けを必要とする生徒-場面緘黙症の生徒、交通事故の加害者家族の生徒、いじめ自殺をした生徒のクラスメート…など、彼らに向き合い、寄り添って、彼らを悲しみの中から救い出してゆく。そんな村内先生は、生徒達のヒーローであるだけでなく、この本の著者である重松清にとってもヒーローであると、著者は述べている。もちろん、村内先生は僕にとってもヒーローである。

 ふと、「もしも村内先生が現実世界にいたらどんな光景が見えるのだろうか」と思った。そもそも、教師になるということ自体が難しい道のりになるのかもしれない。面接を乗り越えることは簡単なことではないだろう。

 そして、無事教師になれたとする。そしたらすぐに自分のクラスを持つことになる。何十人もの生徒の未来に責任を持たなくてはいけない。授業では、上手に喋れないわけだからそれを聞く生徒は苛立ちを感じてしまうのかもしれない。分かりやすい板書のプリントがあったとしても、「この先生の授業はつまらない」「いやだ」と思う生徒はいるのかもしれない。保護者は、先生が普通の人と少し変わっている所があり、円滑に授業が進まないことに失望してしまうのかもしれない。「こんな先生はふさわしくないから、他の先生に変えてほしい」と要請されるかもしれない。

 たとえそうだとしても、村内先生にしかできないことだってある。

 生徒の数だけ抱えている悩みの種類があり、その中には誰かの助けを強く求めて声にならないSOSを上げている人がいる。そういった人に、村内先生は親身に寄り添ってくれる。


「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいたほうがいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから」

と村内先生は言う。

子は、ひとりぼっちなんだよ、やっぱり。
でもなあ、ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないんじゃないか、って先生は思うんだよなあ。
先生は、ひとりぼっちの。子の。そばにいる、もう一人の、ひとりぼっちになりたいんだ。だから、先生は、先生をやってるんだ。

 
 村内先生はみんなのヒーローにはならないかもしれないけど、きっと誰かのヒーローになるのだろうと、そう思います。

 本題とは反対の内容になってしまうけど、たとえ村内先生が現実にはいなくても、村内先生みたいな人はいるかもしれない。もしそうでなくても、この物語の中に村内先生は生きていて、この本を読めば彼の息遣いを感じ取ることができる。自分のそばに村内先生を感じることができる。どうであれ、村内先生は僕らのヒーローになってくれる存在なのだ。

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