謙虚なツワモノ
先日、noteを全部読んだと言ってくれた人がいて、とても驚いたし、とても嬉しかった。最近めっきり「文章」は書いていなかったと気づき、一先ず今考えていることを、書いてみようと思った。
どうやら最近、自分の様子がおかしいと感じる。何がおかしいかと言うと、色々おかしいけど、一番は、なんかすごくメンタルが弱い。評価、指摘にすこぶる弱い。弱いっていうのは、過度に被害的にとらえてしまったり、他責的な感じで出てきて、総じてそこにとらわれてしまう。そしてそこから、回復するための心の弾力が乏しい。
それはおかしい。私は、メンタルが弱いようで、結構強いし、立ち直る力は結構ある。何が変わったんだろうと振り返ると、一つは長かった学生生活が終わるとともに、ずっと続けていたアルバイトを辞めたことかもしれない。アルバイトでは、自分が仕事が速い方ではないから、人一倍「頑張らねば」という気概が最初の頃は結構強かったし、評価なんかされないだろうという前提で、自分が納得できるように一生懸命働いていた。それがやりがいに繋がっていたし、かなり打たれ強くなった。
今も一生懸命働いているんだけど、生半可自信がついちゃうと、今度は気が大きくなって、評価に過敏になる。難しいのが、評価されず怒られてばかりの生活では、自己肯定感は下がるもののどこか謙虚でいられる部分もあるけれど、自分は責任ある立場でここに関わっているのだという強い意識がある生活では、自信がつくものの一歩間違えば傲慢になってしまう。これって、人生のいたるところで起こりうることである気もする。
「自分なんて本当にダメダメで」って言う人、本当にその考えが根強くて苦しんでいる人もいるけれど、どこかしたたかさがあってそういう風に言っている人も、いるような気がしているんです。
怒られて、卑下されて、傷つけられた時に、「自分がダメダメだからな」と、言いつつも、どこかで「まぁ言うほどダメダメでもないけどね」なんて思っているような人は、なんか強くて、うらやましい。
その場合の「自分がダメダメだからな」の前には、「その人にとっての自分は」という言葉が隠れているかもしれない。そう考えれば、自分そのものを否定されて顔にバツを塗られたんじゃなく、自分の力では相手からの期待には応えられなかっただけだ、というニュアンスに変わってくる。
そういう風に、考えられたらいいなぁ。自分そのものと、相手が自分に期待する理想像との乖離があるだけで、理想通りにできなかったとしても自分そのものが減ったり消えたりするわけじゃない。結局月並みな言葉に成り代わってはしまうけれど、「自分は自分」という感覚をいかに持てるかに、私の命運はかかっているのかもしれない。
ちょっくら謙虚なツワモノを目指してみようと思う。