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選択することの大切さと誰もが持つその権利

新年の三ヶ日はどのようにお過ごしですか?私は密を避けながらも大切な人たちへの新年の挨拶をしています。

今日は離れて暮らしているお姑さんのところに行ってきました。新年の挨拶のためではありますが、最大のミッションは「椅子」を届けることでした。実は去年の秋ごろに母の使っている椅子が壊れてしまい、大変不自由な生活をしていることを知りました。母は脚が悪いので、どんな椅子でも良いわけではなく、母の体にあった回転式の椅子が必要です。

脚が悪い母は自分で買い物にいくことはできません。また誰かと椅子を買いに行けたとしても、高齢の母には重たい椅子をリビングまで運ぶことはできません。そこで私たち夫婦が去年から母の椅子をあちこちで探していましたが、なかなか良いものがなく、本日、ようやく母に良さそうな椅子を2つ見つけることができました。2つの椅子をお店でじっくりと見比べ、2つのうちでもより小ぶりで軽い椅子を選びました。高齢の母にも移動がしやすいと考えたからです。

今日はその椅子を母に届けました。

母のところに椅子を持っていくと、母が欲しがっていた回転式の椅子であったために喜んでくれましたが、座席部分が思ったよりも小さくいつも愛用しているクッションを置くとお尻が椅子から落ちそうになってしまっていました。

何度やってみても結果は同じです。クッションを置かずに座ってみたり、他のクッションを使ってみたり、いろんなことを試してみましたがどうもスッキリしません。

「2つ見つけた椅子のうち、もう一つの椅子の方が座る部分が少しだけ大きかったからクッションが置けそうですね」そう母に言うと「そっちがいい」と言います。「今から買い直しにいった方がいいですか?」と聞くと「そうしてほしい」と言われました。そこで結局、お店に戻りもう一つの椅子を買いに行くことにしました。

椅子を買いに行くと言っても簡単ではありません。都市高速道路を使って30分以上かかります。母に持っていった椅子を車に乗せ、高速道路を走ります。母とのやりとりを通して主人はぐったり疲れていました。思った以上に母が納得してくれなかったこと、またお店に戻って椅子を買い、それを実家に届けることを繰り返す必要があったからです。お金はもちろんですが、時間もガソリン代金も高速道路代金も全て倍かかります。

確かにお店に戻って椅子を買い直す行為は大きな負担でした。しかし脚の悪い母にとってリビングの椅子はその一日の大半を過ごす椅子です。その椅子が居心地が良いものでなければ母の毎日は苦痛になります。だからこそ母には本人が納得する椅子に座ってもらう必要がありました。

今回の母とのやりとりを通して感じたことは「選択する自由」とその大切さです。本人が使う物は本人が「納得」できる「選択」をした上で手に入れる必要があると言うことです。

本来であれば本人が買い物に行き、お店で現物を見て「こっちがいいかな?」「いや、こっちの方がいいかも」と色んな商品を比べながら「選択」していきます。しかし、脚の悪い母、そしてこのコロナ禍にあって高齢の母にはお店に行くことは叶いませんでした。そんな中で椅子が突然届いたとしても、それは母にとって「納得」できる「選択」をしたわけではないのです。

私たちがお店に足を2度運び、椅子を2種類見せることで、母は大変納得しました。二つ目の椅子を届けた時には、先ほどの反応が嘘のように大変喜んでくれていました。それは、1度目の自分に合わない椅子を見ていたからなおさらの喜びだったのかも知れません。

脚も悪く高齢の母に「この椅子で我慢して」と言うこともできました。しかし、ただでさえ不自由な生活をしている母に「我慢してほしい」と言うことはできませんし、母の「選択の自由」を奪ってしまう権利は誰にもないのです。

今日はぐったりと疲れた時間ではありましたが、母がそうやって選択をしながら生きていくことが大切なのだと思えたお正月の出来事となりました。高齢の人、障がいがある人、苦しい生活をしている人、色んな状況下にある一人一人が自分の人生に関することを「選択」できることが「当たり前」の世界になることを心から願いつつ、そしてその世界を作っていかなければならないと思っています。




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