手帳続かない問題
表題の通り、手帳が続かない。
毎年この時期になるとついワクワクして手帳を買ってしまうのだが、1月から向こう、書き進められた年は少ない。
皆、手帳に何を書いてるんだろうか。
そもそもなんで続かないのか。買った当初は、さあ毎日を丁寧に生きるんだぞ、と思う。そして、はた、と気づく。昨日も今日も明日も多分、おなじことしかしない。格別に面白いことも良いことも、そうそう起こらないのが人生である。
だからこそ、毎日自ら特別を作り出せるようになるためには、日々の暮らしのロードマップになり得る、手帳が不可欠なのではないか。
…とまあ、ここまでが例年思うこと。
ただ、いざ自分の毎日に目を向けてみるとほんとにつまんないし、無理くり面白く解釈してみようと記したことは、後で読み返すとなんか恥ずい。
「今日見た映画は○○なところが素晴らしいし、これからの人生をよりよく生きていくヒントが得られた」
「○○な出来事があったから成長出来たのだと思う」
こんな雰囲気で書いてみたりするが、翌日すでに恥ずいし、なんなら一月後には「うるせえ」と一蹴したくなってることもある。
そして最終的には、
「仕事→風呂→ビール→寝た」
「映画○○観に行く→風呂→ビール→寝た」
とか、何のための情報やねん的なことしか書かなくなり、やーめた、となる。
ここで問題が浮かぶ。
そもそも、手帳をつけたい動機が曖昧
記録をとり、何を振り返りたいのかが曖昧
この二つがキモではないか。
なんで手帳をつけたいか。だって手帳つけてる人って自己管理ができてそうでカッコいい。毎日を無駄に過ごしてないし、いいよな、キラキラしてて。きっといつもスタバとか行って、コーヒーとかしばきながらサラサラと今日の素敵なこととか明日待ってる楽しいこととか書いてるんだろうな、明日の私、輝け私、アップグレード!なんやろうな…
と、これが今抱いている手帳への期待なので、文章化するとアホかと自らツッコんでしまう。
おそらく心情を振り返るとか、成長を記録するとかは、私には向いてないんだと思う。それなのに手帳の根幹にこんなテーマを据えては続くわけがない。
となれば、残しておきたいことを書けばいいのではないか。
はて、残したいこととかあるっけ…?
体重とか…?食べたものとか…?
…いるんかな、それ。
なんかよくわからなくなってきた。
とりあえずでも手帳は買っちゃうと思うので、妙案がみつかればよいなと思う。