うちに帰るまで[1]
母が倒れてからは、まあ大変だった。
実際に介護が始まるより、その事前準備の方がある意味、大変である。なるほど、介護休業はこういう時のためにあるのか、と思ったのは数年後だった。これを読んでくださっている方々にもし家族介護の日が来てしまったなら、是非介護休業をとってほしい。気持ちがついていかない中、容赦なく現実的な問題がのしかかる。いろいろ知らないことが多いし、調べ物をしたり、手続きをしたり、動き回ったりで気力、体力が消耗する。準備期間をしっかり設ければ、あとあと楽にことが運ぶ。と、思われる。
当時の状況はあまりにしっちゃかめっちゃかすぎて、どこから書き始めてよいかわからないので、まず箇条書きにしてみる。時系列も合っているかわからない。
母入院。およそ3ヶ月。(その後新居が決まるまで老健に2ヶ月ほど入所)
毎日見舞い。その間に実家の引越し準備(バリアフリーの物件探し、引き払い)、私の住まいの引き払い。
在宅介護の準備。入居日と母の退所日の調整。車椅子、電動ベッド等の手配
母帰宅。怒涛の介護生活突入。
こんな感じか。やけにさらっとしとるな。
母が倒れた日の翌朝、叔母と弟が遠方から駆けつけてくれた。倒れた直接はICUに入っていたが、割とすぐ意識は戻ったので、2、3日後には普通の病室に移されていたと思う(このへんは記憶が曖昧な上、あまり思い出したくない)。
なので、叔母も弟も数日の滞在後に帰った。その後は父と二人、毎日、今後のことを考えつつ、時短で働きつつ、病院に通った。
高血圧の影響が大きいのだろうが、母は脳の損傷に加え、脳全体が萎縮していると医師に言われた。この時点で、身体介護だけでなく、いずれ認知症の症状も出ることになるかもと感じた覚えがある。(後年、その通りになる)
かなり絶望的な状況ではあるが、絶望しても何もならないので、とにかく毎日やるべきことに集中していた。今後に向けて整えなければどうにもならないことは山積みだった。
母は手厚い看護のおかげで、日に日によくなっていった。今でもありがたく思っているのは、入院したその日からリハビリを行ってくれた理学療法士の方。意識がない状態でも、筋肉が固まらないよう、すぐにリハビリを開始するものらしい。今現在の生活を支えている運動機能は、このリハビリがなければ実現しなかっただろうと思う。
一般病棟に移された後も、動かない母を車椅子に乗せて、リハビリルームに連れて行っていた。こんなぐにゃぐにゃやのにリハビリなんか出来るんかな、と思っていたが、日を追うごとに「座れる」ようになって驚いた。
その後、退院するまで理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の方々がしっかり生活基盤を整えて下さった。皆さん、熱意のあるお若い方々で、本当に熱心に母に向き合って下さった。おかげさまで、退院する頃には自分でご飯を食べ、話もできるようになっていた。
ざっくりと言いつつ、おさまらなかったので、次は母が入院している間にどんな準備をしていたかをまとめようと思う。
長くなりそうだけど、お付き合い頂けると嬉しいです。