北大路魯山人
1883年京都市北区に生まれる。
篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持つ。壮絶な幼少期であり1904年日本美術協会主催の展覧会に出品した『千字文』が褒状一等二席を受賞し頭角を現す。
様々な名を変え1916年北大路魯山人と名乗る。1921年会員制食堂『美食倶楽部』を発足。1925年東京永田町に星岡茶寮という会員制高級料亭を始めるが魯山人の横暴さや出費の多さから1936年星岡茶寮を追放されその後、銀座に『火土火土美房』を開店し在日欧米人からも好評を博す。
つねに傲岸・不遜・狷介・虚栄・毒舌などの悪評がつきまとう魯山人だが人に媚びない姿勢は一本筋が通り好感が持てる。1955年人間国宝に指定されるも辞退する。
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