弱くて良かったこともあるのだ。
こんにちは😃✨児童養護施設出身、少年院出身の青年をサポートする団体 NPO法人スマイルリングでの青年達との日常をnoteしています😁✨
なっかなかの虚弱体質である。
これでも結構神経質で、朝まで何度も目を覚まし、なかなかぐっすり眠れない。
喘息持ちで体力がなく。
胃が弱くて、ご飯もちょっとしか食べられない。脂っこい物や冷たいモノを少し食べ過ぎると、すぐに胃が破壊されてしまう💣✨
プレッシャーに弱く、会社勤めと家事で手一杯。 毎日のように予定が入ってしまうと、身も心もくたくたになってしまう。
だから人からの頼まれ事はかなりの苦手。
なんでこんなに弱いのかってぐらい。私は本当に弱々のダメダメ人間なのだ。
そんな所へ持ってきて昨年の11月の末、『膝の骨を折る』という重大事件が発生☠️✨
骨も砕けたが、心も砕けた。
生まれてはじめての入院生活に加え、退院してからも人の手を借りねば生活出来ず、しばらく実家で世話になった。
車椅子はプロ級(?)に上手かったのだが、松葉杖の生活は、思ったよりも、とっても怖かった。
神経質でわがままな私が、常に誰かの世話になり。そして自分の好きな時に、自由に何処にも行くことができないと言うストレスで、体も心もスイッチが全部オフになってしまった。
大人と言うものは、
相手をおもんぱかって、相手が大変な時ほど遠慮して、最小限の連絡しか寄越さないものだと思う。
ただこれは、私はちょっと違うのではないかな?と思っている。
大変な時、人間はとても孤独で寂しいのだ。
心身ともに元気な人間には、
なかなか、この気持ちには気づけないと思う。
弱い人間は、
自分がめんどくさい人間になりたくないので、どうしても受け身がちになる。
忙しく、やる事が沢山あり、一生懸命がんばって働いたりしている人達の手足や時間を止めてまでも、自分の話を聞いてほしいなどとは、なかなか言えないのである。
私は普段から、とても元気な人たちに囲まれて生活しているので、やっぱりとても寂しくて、とっても辛くなった。
そんな入院生活がスタートしてしばらく経った頃。
少年院出身の青年から、大丈夫ですか…⁈と電話が入った。
コロナ禍で、誰一人お見舞いにも来れない個室で、誰とも口をきかない毎日を送っていた私にとって、それはとても嬉しい電話だった。
時間はたっぷりあった。
毎日、昼も夜もリハビリ以外はずっと1人で過ごしていた私に、彼はその日から、毎日毎日電話をくれるようになった。
退院して、実家で療養している間も、彼は毎日毎日電話をくれた。
彼のことを沢山知ることができた。
彼の心を、
彼の幸せとは言えないような思い出を、
彼のささやかな幸せを、
彼の夢を、
沢山たくさん聞かせてもらった。
毎日…一番長い時は4時間(!!)彼の話を聴かせてもらったけれども、それでも彼の話が尽きる事はなかった。
そんな中で、彼はいつしか私のことを『お母さん』と呼んでくれるようになった。
とても嬉しい、幸せな時間だった。
去年の今頃。
暴れん坊で、地元ではどこにも就職先や居場所が作れなかった児童養護施設出身の青年がいる。
私たちのNPOのある帯広市に送られて(⁈)来た。
『地元に帰りたい』を繰り返していたこの青年。
働いていた事業所でも、やっぱり文句たれの一番の問題児で、彼がいつそこを追い出されるかと少々ヒヤヒヤしていたのだが…。
その彼は毎日メールをくれた。
しかも、信じられないほど、そのメールは優しい気持ちに溢れた、とても素敵なメールだった。
『僕が ちあきさんの車椅子を押します』
『僕が ちあきさんの側で 松葉杖で転ばないように支えます』
本当に退院した後、
彼は私の実家にまで迎えに来てくれて、車椅子を押してくれた👩🦼✨
私が怖い思いをしないよう、
優しく丁寧に声をかけてくれながら。
松葉杖の時には、ピッタリと寄り添ってくれた。
彼はずっと微笑みを絶やさなかった。
本当に本当に、嬉しくて幸せな時間だった。
分別のある大人たちから寂しい思いをさせられた私は、彼らから、とても大切なことや、とても幸せな時間を沢山もらえたのだ。
それは、
心の中にあるものを素直に伝える
と言う事が、
どれほど人の心に届き
どれほど痛んだ心を癒すことができるのか
と言うことだ。
その中でも、
『大好きです』
と言う言葉には本当にやられてしまった。
今も、喘息と胃腸炎でやっとこさ生活している私である。膝はもう、完璧に治る事はないだろう。
健康な人がとても羨ましい。
でも、心の底から思っている。
『私はこれでいいんだな』
彼らに支えてもらって生きている。
こんな幸せなことって、あるだろうか。
青年たちのおかげで幸せな毎日です😁✨
NPO法人スマイルリング
理事 ののむら ちあき☺️