分離意識を手放す
昨日触れた分離意識を手放すについて。
僕たちは、ものごころついて色んな経験をしながら、「自分とは何か」を学ぶ。
「世界はどんなか」を学ぶ。
思春期になれば自我を確立しようと一生懸命になる。
その後も世界と対等に渡り合えるようになるまで自我を完成させていく。
そして自分を理解する。少なくともした気になる。
でも、この自我、セルフイメージはどれくらいリアルなんだろう?
住む地域、時代、立場、つき合う人が変わればころっと変わったりしないだろうか?
今は世界と対等に渡り合えているような気になっているけれど、本当にそうなのか?
地震がきたり、戦争が起きたり、宇宙人がきたり、世界から罪悪が急になくなったり、わかんないけど何かが起きたらころっと変わるんじゃないだろうか?
だとしたら、それ(自我)って、実在するリアルな存在というより、今いる世界をどう捉えているのかに依って、それとうまくバランスを取っている単なるイメージなんじゃないだろうか?
リアルな自分てなんなんだろう。
私は、私であるものを知らない。
だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいは、
この世界や自分自身をどのように見たらよいのかも、知らない。
(A Course In Miracle)
リアルな自分を知る。
己を知る。
分離意識を手放すと言ったが、それは自我やセルフイメージが抱えているもの。
僕らは自我やセルフイメージについては比較的よく知っている。
でもリアルな自分のことは知らないかもしれない。
分離意識を手放すには、
ここが出発点なのかもしれない。