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物質・精神・霊
今朝は近所の整形外科でリハビリ治療を受けました。
年始に痛めた箇所があり、日常生活に支障があるほどではないものの、違和感がなくならないのできちんと処置しておこうと思いました。
これまで指圧やマッサージを利用することはありましたが、理学療法士によるリハビリは初めてです。
診てもらうと、筋肉は柔かく正常だが関節周りの軟組織が固まっている、とのことで、手技による牽引で柔軟性を回復することになりました。
強くもなく弱くもない、良い加減での手技でこわばっていたあちこちが緩んでいくのが感じとれ、とてもいい具合でした。
父方が医者家系で、それ故に子供の頃からそのデメリットや裏事情も聞かされていたため、知らず識らず逆バイアスがかかったのか、普段からあまり医者に行こうと思いません。
けれども、以前信頼できるスポーツトレーナーに話を聞いた時もそうでしたが、身体を物理としてきちんと理解し把握している人はこういう時頼りになるものです。そのことをあらためて感じました。
しばらく通院の必要はありますが、改善の見通しが得られ、気がかりがひとつ消えたのでした。
さて、
何か超えたい課題や、解決したいことがある時、バランスよくアプローチすることは大切でしょう。
唯物主義、「病は気から」的精神至上主義、「引き寄せの法則」などスピリチュアル(?)な視点、…など、世の中には様々な視座があります。
唯物主義の人は心理や霊的な視点を無視したり、スピリチュアル至上主義の人が物質や意思を軽んじたり、というようなこともよく見られます。
でも骨折した時には祈るより手術したほうがいいし、手に負えない大きなトラブルに見舞われた時は、手当たり次第行動するより、まずはそれを引き起こした内面的要因を改善したほうがいい場合もあります。
物質的側面、
精神的側面、
霊的側面。
程度の差こそあれ、何事にもこれらの側面があります。
何か対象を見る時、バランスよくそれぞれの側面から観察し、今はどの側面をどうアプローチするのが効果的かが見通せるようになると、俄然生きやすくなるものです。
年を経るに従い、視点が凝り固まっていく人も多いようですが、同じ年月を重ねるなら視座を広げるためにそれを使いたいものですね。
いい人生を送りましょう。