愛あるアドバイス
欠点を指摘してくれる人
良い点を伝えてくれる人
どちらが役に立つのでしょうか?
愛情のない人の言葉はここでは除外するとして、
愛情をもって伝えているという前提です。
なかなか難しい問いかもしれません。
欠点を指摘してくれるから改善できるし、
良い点を伝えてもらえれば長所を伸ばすことができます。
僕自身は、親から欠点を指摘されることが多かったという環境のせいもあって、
かつては愛をもって、仮に嫌われても敢えて欠点を指摘するタイプでしたが、
大人になって家族や同僚にただ嫌われるのも気持ちよくないので、
良い点だけ伝えるようになった時期もありました。
でも、良い点の指摘だけでは、欠点に目が向かず改善しません。
欠点の放置、それはそれで愛がありませんよね。
そんなことで一時期よく、
冒頭の問いを考えていました。
しかし、この問題、
ある概念を取り入れてから決着がつきました。
自我(エゴ)と本質的自己 という概念です。
自我(エゴ)からの発信は、それが欠点であれ良い点であれ、
本質的には機能しません。
欠点の指摘はマウントや、相手の気を引く行為になりがちで、
良い点の指摘は、相手の自我を増長させるだけです。
一方、本質的自己からの発信であれば、
欠点の指摘は、純粋に改善ポイントのお知らせであり、
良い点の指摘は、相手にエネルギーを吹き込むことになります。
そう考えると、冒頭の問いは設定が間違っていたことがわかります。
「欠点を指摘する人と、良い点を指摘する人、どちらが役に立つか?」
これはどっちも、役に立つかもしれないし、害になるかもしれない。
自我の強い状態の言葉は、何であれ役に立たないし、
より本質的自己に近い状態の言葉は、なんであれ役に立つ。
ということで、常日頃から、
自分の中の自我(エゴ)と本質的自己の存在を自覚し、
でき得る限り本質的自己をアイデンティティとして、言動したいものです。
言うは易く行うは難し、という類のもので、
僕も地道に試行錯誤しながら身につけている最中です。