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私の青春を奪った怪我

こんにちは。今回は、人生で1番苦しかった怪我についてと怪我を負った当時の生活や心境を書いていきます。

高校2年の秋、全治10ヶ月の怪我をした。

私は、大学生になった今でもバスケを続けています。バスケは中学からはじめました。

元々入るつもりはなかったバスケ部。縁あって入部。高校では、一年生の頃からスタメンに抜擢。調子に乗っていました。コロナ禍に入り、先輩たちはあっけなく引退。自分の代になりました。そして、キャプテンになりました。初めから、チームをまとめるのには自信がありました。秋にある初めての公式戦に向けて、私は持ち前の明るさでチームを鼓舞しました。

そして、初めての公式戦。トーナメントだったかな。初日は勝てば2試合。初戦は大差で勝ちました。だけど、良い試合とは言えませんでした。先生に叱られ、チームの雰囲気も良くなかった。だから私は、次の試合はプレーでチームの雰囲気を盛り上げようと思って、ルーズボールやリバウンドを頑張ると心に決めました。

そして2試合目。前半は、相手に引き離されそうになりながらも必死に食らいついて接戦に持ち込めていました。しかし、前半が間も無く終わるというときに、後輩がパスミスをしました。普通に飛んだら届かないくらいの大きいパスです。私はその時思いました「ここでミスしたら負ける!」と。だから、必死に追いかけてその時出せる全力で飛びました。

飛んだ瞬間、空中で目の前が真っ暗になって、頭の中に、膝が変な方向に曲がったレントゲン写真みたいな映像が流れました。そのまま私は倒れ込みました。いつもだったらすぐ起き上がるのに、その気力も湧きませんでした。しばらくすると、尋常じゃない痛みが膝を襲いました。そしてパニック。どこを触られても痛い!!!!!!と叫んでいました。そのままコートの外に出され、落ち着いた頃には点数がかなりはなされていました。

試合が終わり、私は即病院。その頃には痛みがひいていたので、軽い怪我だろう。そう思っていたのに。
レントゲンとMRIを撮り終わって、病院の先生に言われた一言目は、「手術だね」。

意味がわかりませんでした。実感もわきませんでした。私は、前十字靭帯断裂と半月板損傷という怪我を負っていました。全治10ヶ月。長ければ一年。

「引退、間に合わないやん」

私のチームだとあれだけ張り切っていたのに、一瞬にして私のチームは終わりました。

引退に間に合わないかもしれないと思いながらする手術やリハビリにはとても辛いものがありました。毎日バスケをしている夢を見て、現実に戻ってショックを受ける日々。毎日泣きました。

手術で入院していた時以外は、毎日部活に顔を出しました。真面目に頑張らない部員を見て、毎日イライラと悔しさでいっぱいでした。

今思えば、私もひどいことをしたなととても反省しますが、当時の私は視野を広く保つ余裕などありませんでした。
「もっとやる気を持ってくれ。私はもう試合に出られないかもしれないんだ。そんなやる気のない練習見たくない」
同期を集めて、私は泣きながら訴えました。イライラを全て、同期にぶつけました。

後から知りましたが、同期たちは「私がいないぶん、チームを引っ張ろう、頑張ろう」とずっと思って練習に励んでくれていたらしく、私の怒声を浴びた時はかなりショックだったようです。本当に申し訳ない。

そんなこんなでお互い練習とリハビリに励み、私は完治ではありませんでしたが、4月に復帰ができました。引退に間に合ったわけです。でも、8秒だった50メートル走は9.6秒になっているし、飛ぶのも怖いし、人との接触も怖くて、怪我以前の私には戻れませんでした。

そんな私のことも、仲間と先生は信じてくれて、試合にもスタメンでたくさん出してもらいました。そして目標だった県大会にも出場できました。県大会を決める試合は、とっっっても良い試合でした。

嬉し涙を流したのも、心の底から大量の「ありがとう」を伝えたのも、あの日だけです。皆がチームのために全力を出し切りました。今思い出しても、自然と笑顔になります。

本当に苦しい日々を過ごしました。だけど、このチームでよかった。バスケ部に入ってよかった。と心の底から思えました。

私の青春の大事な大事な1ページを、怪我で汚されたことは本当に気に食わないけど、ある意味青春だったのかなとも思ったり。
でも修学旅行松葉杖だったし、やっぱり怪我は最低で最悪かな。

本気になれた経験。人に勇気を持って本音をぶつけた経験。挫折した経験。そこから這い上がって成功したという最高な経験。

良い経験ができた高校生活でした。部活最高。

人類みんなに最高な経験してほしいな。

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