最後の世代


8月15日

75年前の今日、日本は戦争に負けた

一世紀にも満たない過去
それでも、私が生まれるより遥か前で
『歴史』として習うような
遠い過去の出来事だ

私の祖父母は戦争後に生まれていたり
まだ幼すぎて戦争の事を理解出来ない
年齢だったこともあり
直接祖父母から話を聞く事はなかった

戦争について話を聞いたり
触れたりする機会は
修学旅行で訪れた沖縄や長崎での
語り部の方からの話
両親に連れて行ってもらった広島で
資料館を訪れたりした程度だ


『このままでいいのか』
私はたまに不安になる
長い年月を重ねれば
物事の継承にはズレが生じ
風化も進む

いつかは忘れ去られ
もしかしたら同じ過ちを
人類は繰り返すのかもしれない

私たち今の若者は
戦争の時代を生きた人から
直接話を聞く事ができる
最後の世代だと思う

あと5年、10年経ってしまったら
間違いなく、機会が失われていく
私の子供や孫がこの世に生を受け
戦争について考える時に、当時の人から
直接話を聞く事はできないだろう

私たちが75年前の事実を
知ろうと努力しなければ
目を背けていたら
良くないのではないだろうか

どうして戦争に踏み切ったのか
戦争によってどのようなことが起きたのか
実際体験した人の話を聞いたり
関心をもっと持つべきではないだろうか

自分のできる限り
75年前の戦争のことを学び、知るべきだ
そして次の世代へ平和の大切さを
継承して行く義務が今の私たちにはあると思う


『原爆』
この言葉は戦争がなければ
生み出されなかった言葉

私が高校の修学旅行で訪れた
長崎で語り部の方から
そう教えてもらった

私が生まれた時には
その言葉は当たり前に存在し
その言葉が存在しなかった
過去を考えたことがなかった

原爆が開発されなければ
生まれなかった言葉だ
その言葉を聞いた時
戦争の残した爪痕に
恐ろしさを感じた

人類が創り出してしまった
恐ろしい核兵器

あってはならない
創り出してはいけない
言葉だった


大学の授業で
アメリカの歴史を学ぶ機会があった

これまで日本の視点で
世界大戦について学んできて
アメリカの視点から
原爆投下について
学んだ時衝撃を覚えた

『戦争を終わらすために必要だった』

アメリカ史の観点で見ると
確かに納得は出来る
それでも原爆によって
何の罪もない一般市民が
犠牲になっている

本当に必要だったのか
それは原爆でなければいけなかったのか

私には分からない


分からないけれど
分からないまま目を背けて
知らないままではいけないと思う

先ほども書いたことの
繰り返しになるが
私たちは戦争の時代を体験した人から
直接話を聞くことができる
『最後の世代』だ

最後の世代だからこそ
もっと関心を持って
事実に向き合うべきだ


昨今のコロナウィルスの流行で
今は難しいが、終息したら
 広島や長崎に足を運ぼうと
計画している

原爆は戦争を終わらせるために必要だったのか
一つの視点に拘らず
様々な視点から考えてみたい

戦争を経験していない私が
文を書くのも如何なものだろうと思ったが
1人の若者の意見として
読んでいただけたら幸いです

最後まで読んでいただき
ありがとうございました

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