「自分で考えなさい」について「考える」
どもども、とくさんです。
現在僕はプログラミング教室、パソコン教室、
フリースクール、通信制高校サポート校を運営しています。
2024年はパソコン修理・販売、スマホ回線の代理店にも着手します。
人々のデジタルを包括的に支える事業を運営しています。
直近では2教室目の開校を控えています。
小さな会社の経営者として、目まぐるしい日々を送っています。
今回は「自分で考える」について考えた記事です。
「自分で考えなさい」ってそもそも何?
子供の頃に言われた経験があるのですが、
これについて改めて考えてみました。
「自分で考えなさい = 自分で仮説を立ててから確認を求めなさい」
だと僕は考えています。
わからないことや知りたいことを人に聞く。
ごく自然なことですよね。
今では知りたい事はインターネットで調べるのが基本です。
子供達にもできるだけまずは自分で調べる癖をつけてもらっているし、
自立のためにはそうあって欲しいものです。
ただ、教室を運営しているとそう簡単にはいきません。
子供達からよく「先生〜」という声が聞こえてきます。
「はい、○○さん今行きますね」
別の子から「先生〜」
「はい、⭐︎⭐︎さん、次に行くから待っててね」
別の子から「先生〜」
・・・・
これ、本当によくあるんですが同時には対応できませんよね。
生徒それぞれが違う疑問を持って当然です。
特にうちは個別指導なのでそれぞれのタイミングで疑問が湧きます。
泣く泣くあまり好きではない「ちょっと待って」という言葉を使わざるを得ない時があります。
とても便利な「ちょっと待って」。
なるべく言いたくないのですが、
「○○さんの次に行くのでそれまでタイピング練習やインターネットで調べてみてね」と伝えたりします。
こんなこともあります。
「先生〜」と呼ばれて席に行って「はい、どうした?」と聞くと
「・・・出来たから、やっぱいいや!」
「そうか、よかったね^^」
別の子も「先生〜・・・・・あ、やっぱいいや」
わからない事があると、まず先生を呼ぶんですね。
「わからない→呼ぶ→やってみる」という子が結構多いんですね。
プログラミングなんかは基本はデバッグしている時間が長く、
つまり「出来ない時間の方が多い」んですね。
デバッグするのに「わからない→呼ぶ→やってみる」という思考回路の子が複数人いると結構大変です。
「自分で考えよう」と伝えてみるとどうなるか
「先生〜」
さあ、先生が呼ばれました。
「まずは自分で考えよう。それでもわからなかったら呼んでね」と言いたくなるシーンです。
さあ、どうなるでしょうか・・・・
「わからないから聞いてるのに〜笑」
「教えてよ〜ケチ〜笑」
と言われます笑
中にはもう少し理論的に食い下がってくる子もいます。
「学校でもそうなんですが、自分で考えろって大人は言うけど、
考えてもわからないから聞いているんです。
自分で調べるのも大事です。それはわかります。
ただ、お金を払っているんだから先生から聞いた方が早いし効率がいい。
僕はできれば効率よくやりたい。だから聞いています。
その後、色々と考えますのでまず教えてください。」
僕:「ほう。。。汗」
ここでどうするかは先生次第だと思いますが笑
僕は大まかに2パターン試します。
①「自分の意見を持つのは大事だな。そういうことなら教えるよ」
②「そもそも自分で考えるって何だと思う?」
毎回答えを教えていたらそりゃサクサクできて進捗も出せるし
お互いWin-Winですよ。。。
ただいきなり②をやると「質問を質問で返す」ことになり、
例に挙げたような質問をするタイプの子はこういうところにも
食い下がってくることがあるので、、、
何回か①で付き合います。
もしくは、半分教えたり、手取り足取り教えたりします。
人間関係ができてきて相手も僕のことを信頼してきたかな〜くらいの時期に、
②で聞いてみたりします。
「大人対子供」ではなく「人と人」として向き合うべきですので、
この時は腹を割って話していいと思います。
言い方を間違えたりしたら後で「さっきはごめんな〜」と謝りましょう。
さて、そもそも大人が「自分で考えろ」の具体的な意味を言語化できますか?
考えるってなんだろう。
普段からみんなよくやっていますよね。考える。
「考える」=「仮定」と定義してみる
それがわかれば、「自分で考えろ」って言われた時にしっくりくると思うんですよね。
結論からいうと僕は考えるって「仮説を立てること」だと定義しています。
すると、「自分で考えろ=自分なりの仮説を立ててみろ」と
同じ意味だと解釈できます。
仮説っていうのは「合ってても合ってなくてもいい」ものですし、
「何個立ててもいい」のです。
仮説を立てるために必要なスキルこそが「勉強」にある
仮説を立てたくても、知識や経験がなければ何も立てられません。
浮かんだとしても言語化できません。
「仮説か〜・・・」
「じゃあ、たぶん、これは間違ってると思う!
はい!先生!仮説立てたよ!答え教えて!」
と言われかねません。
「まあ、そう来るよね〜」って状況です。
でもこれだけで簡単に「先生〜」と呼ばれる回数は減ります。
考える=仮説だから、間違ってていい、安心。だと認識させることが大事なのかなと思います。
そもそも仮説を立てられない子はこのまま学習を進めるべきではないので
いろんな本を読んだり、別の子の質問の仕方を参考にしたり、別の子の姿勢を観察させたり、先生との人間関係を構築する時間を過ごした方がいいと思います。
仮説を立てるトレーニングもやってみる
まず簡単なレベルでわからないことと向き合い、
自分で仮説を立てられるようにトレーニングしたいですね。
それって具体的にどうするの?
仮説を立てるためには、疑問や問題点をカテゴリー分けする能力も大事だと思います。
パターンで分類することも同じく大事ですね。
何でもいいんですが、例えば・・・
「考える人の像」って何を考えていると思う?と質問をします。
大人ならすでに知っている人も多いと思いますが、
実際は「何も考えていない」説が濃厚です。
考える人は地獄への門で、地獄に堕ちていく人を眺めている人であって、
どちらかというと「見ている人」です。
でも、子供に画像を見せながら仮説を立ててもらいます。
「仮説なので合っていてもいいし、間違っていてもいいし、何個あげてもいい」
というルールを設けます。
そうすると誰かが口を開き始めます。
「多分、う○こをしている!」
とか
「多分、人生について悩み事があって落ち込んでいる」
とか
出てきます。
人の意見を参考にして色々と肉付けも始まります。
「この人、裸だから。生まれたての姿になって人生について考え直しているんだよ」
とかなんかだんだん哲学っぽくなってきます。
考えるレベルが上がってきましたね。
言語化できるレベルで「仮説」が色々とあがってきます。
ある程度のところで、
「これが仮説を立てること。みんなよくできているね。これが自分で考えるって事だよ」と説明します。
多くの子が「ふむふむ」という感じになります。
仮説を立てた次にやること
さて、ここで終わらせません。
この上で、インターネットで調べてもらいます。
調べ方がわからない子には教えてあげます。
すると答えを見つける子が出てきます。
「え〜・・・!!!」
という声が上がり始めます。
5分か10分調べてみて、手を止めてもらいます。
そして調べた答えを聞いてみます。
※発表の仕方はまた別のトレーニングを積んでいきます。
「自分で仮説をたてから調べて理解する。これが自分で考えるってことだよ。」と教えます。
それでも不安があったり、わからない言葉があったり、
理解が難しい時にはじめて質問をするんだ。
でも、この時点ですでにそれは「質問ではなく確認」になっているんだよ。
「自分で考えろ」とは言われない、言われにくい状況になっています。
確認に対して「自分で考えろ」というのは少しおかしいですよね。
もし、そうしたら別の人に聞いてみましょう。
「たまたまタイミングが悪かっただけかもしれないし、別の人に聞いてみるか」ってノリでいいんですよ。
わからないからすぐに答えを聞くのではなく、
「自分で仮説を立ててから確認を求める」それが「自分で考えなさい」の意味。
だと僕は教えています。
そうするとストンと腑に落ちたように納得してくれる子が多いです。
「もちろん、これ自体も僕の"仮説"ですよ笑」
と付け加えておきます。
「でも、あながち間違っていない感じ、するでしょ?笑」
みんなウンウン頷いてくれたりします。
「わからない→調べる→やってみる→仮説→呼ぶ→やってみる」
この循環が身についている子は授業の内容を最初に丁寧に説明すれば、
あとは自分で何とかある程度できちゃいます。
授業としては最初の20〜30分くらいで全員この軌道に乗せられたら、
あとは進捗管理や細かい成長点を見つけて褒めたりする時間を作ります。
管理者としてもストレスがありませんし、心から授業が楽しくなります。
知識を教えるだけじゃ授業ではなく、
考えることを教えるのも大事な授業ではないかと思います。