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秋の音楽レク【秋の言葉】

今回のテーマは「秋の言葉」
俳句やことわざなど、秋にまつわるものを集めてみました。 
白板に途中まで大きく書いて、続きを答えてもらいましょう。




導入曲 里の秋

斎藤信夫作詞 海沼実作曲 昭和20年

秋は美味しいものがたくさんありますね。
栗を実際にお見せしましょう。
季節感のあるものに触れたり、匂いをかいだりすることは、入居者にとってとても大切なことです。

高齢者の方々はとてもお好きな歌です。
歌詞の意味をしみじみと味わいましょう。


俵はごろごろ

野口雨情作詞 本居長世作曲 大正14年

「実るほど頭を下げる稲穂かな」 
立派な人ほど腰が低く、威張ったりしない
これはたくさんの方が答えられました。

案山子

武笠三作詞 山田源一郎作曲 明治44年

稲穂に関連してもう1曲。
案山子は認知のある方にも、とても効果的な歌です。
自然と手拍子をしたり、普段歌わない方が歌ったり、生き生きとしてくるでしょう。


めんこい仔馬 

サトウハチロー作詞 仁木他喜雄作曲 昭和16年

「天高く馬肥ゆる秋」
味覚の秋、どんな美味しいものがありますか?
と聞いてみましょう。

雨降りお月

野口雨情作詞 中山晋平作曲 大正14年

雨の中、たった一人でお嫁に行きます。
誰と行く?
ひとりで唐笠刺して行く。
唐笠がないときは?
お馬に揺られて濡れていく。
なんだか悲しいお嫁入りですね。
どんな背景があるのでしょう・・

麦と兵隊

藤田まさと作詞 大村能章(のうしょう)作曲 東海林太郎歌 昭和13年

「徐州 徐州と人馬は進む」で始まる麦と兵隊は
昭和13年に発表された、火野 葦平の同名小説をもとに書かれた歌謡曲です。
戦争を経験された高齢者は、戦争の辛さをよく知っています。
でも、麦と兵隊をはじめ、同期の桜、若鷲の歌などは好きな方が多いです。

個人的には2番の
「友を背にして 道なき道を 行けば戦野は夜の雨
すまぬ すまぬを背中に聞けば 馬鹿を云うなとまた進む」
がたまらなく好きです。


隣組 

岡本一平作詞 飯田信夫作曲 徳山璉歌 昭和15年

「秋深し 隣は何を するひとぞ」
松尾芭蕉の句です。

上半身の体操をしましょう。

旅愁

犬童球渓(いんどう きゅうけい)作詞 オードウェイ作曲 明治40年

明治元年(1868年)にアメリカ人のオードウェイが作曲した曲に
犬童球渓が歌詞をつけ、明治40年に中等教育唱歌集に掲載された翻訳唱歌です。
「更け行く 秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む」
で始まります。
晩年、病気に伏せていた芭蕉も「恋しや故郷 懐かし父母」と思ったかもしれませんね。

美しいメロディですので、ベルの和音奏をするといいですね。
楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。


逢いたいなぁ あの人に

石本美由紀作詞 上原げんと作曲 島倉千代子歌 昭和32年

「一日千秋」
一日が千年くらい長く感じること
このことわざは認知度が低かったです。

歌詞に懐かしい言葉が出てきますね。
「もんぺ」「姉さんかむり」
どういうものなのか、聞いてみましょう。


名月赤城山

矢島窮児作詞 菊地博作曲 東海林太郎歌 昭和14年

「男心と秋の空」「女心と秋の空」

さあ、どちらが正しいのでしょうか?
みなさんに聞いてみましょう。

「男心に 男が惚れて」と始まるこの歌は、国定忠治を歌った歌謡曲です。
国定忠治にまつわる歌は「赤城の子守歌」「忠治子守歌」他にもあり、
お芝居、映画、浪曲などに取り上げられ、大変な人気だったことが分かりますね。
群馬県赤城山での有名な別れのシーンです。

故郷の空

大和田建樹作詞 スコットランド民謡 明治21年

「夕空晴れて 秋風吹き 月影落ちて 鈴虫鳴く」
夕空が冒頭に出てきます。
全般に秋の風物がたくさん出てきて、とても季節感が感じられる曲です。

鑑賞で、歌劇リゴレットから「女心の歌」を演奏したところ、
イタリア語で歌われた方がいらっしゃいました。
お元気なころ、カンツォーネでも勉強されていたのかもしれませんね。


ずいずいずっころばし

「秋の日は釣瓶落とし」
秋の日が沈むのは、釣瓶を井戸に落としたのと同じくらい早いこと。

釣瓶のことを聞くと、
「あれ、落とすときにコツがあるのよ」
「そうそう、うまくやらないと、空のまま上がってきちゃう」
など話が弾みました。


柿の木坂の家

石本美由紀作詞 船村徹作曲 青木光一歌 昭和32年

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
正岡子規の俳句です。
鐘の音が聞こえてくるようですね。
実際に柿をお見せするのもいいでしょう。

夕焼け小焼け

中村雨紅作詞 草川信作曲 大正12年

「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」
私の子どもの頃、近くにお寺がありましたが、1時間ごとに鐘を鳴らして
時を知らせていました。
今は、鳴らしていないようです。
もしかすると、近所からの苦情があったのかもしれません。
なんだか世知辛い世の中になってしまいました。




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