何より行動(ってことで書きなぐり☆)
結論を先に言おう。
行動しかない。
何をするにも、行動しなければ何にもならない。
私が言いたいのは、とにかく行動を、ということだけ。
大好きな言葉「想いは行為」
このわかりやすい例え話がある。
電車に、明らかに歩みの遅いご高齢の方が乗ってきました。
座席は満席で、自分は座っています。
あなたなら、どう思うでしょうか?
席を譲ろう、とすぐに立てますか?
同時に立つ人がいるかもしれません。
声をかけられますか?
譲った方がいいんだろうけど、、と、余計なことをグルグル考えてしまうでしょうか?
年より扱いするな!って言われないかな。
周りに偽善者と思われないかな。
一人立つの恥ずかしいな。
色んな想いが邪魔をして立てないでしょうか?
もし、席を譲ろうと思っても、席を立ったり、声をかけたりしていなかったとしたら、どんなに心で思っていても、隣で寝たふりをしている人と同じで、何もしなかったのと同じことになります。
行動しなければ、現実は変わらないのです。
よく例え話で出てくるのが、カフェで注文する時に、一生懸命思っていても、言葉にしないと伝わらない、という話が出てきます。
あなたは、言葉にしたり、行動したりが素直にできる人でしょうか。
私も思うだけのことが多いです。
でも、できうる限り、行動に移せる自分でありたいなと思います。
なので、道に迷っている様子の人がいれば声をかける、ということで練習しています。半分は不用だと言われます。そしたら、そうですかと、去ればいい。結構これ、不審がられたりと傷つきます。心が磨かれたなと思うようにしています。
いつか、席を譲って、老人扱いするなと言われても磨かれた心は強くなっているので、自分の行為に傷つくことはありません。
想いは行為、あなたの想いは何だろう?
何だって良い。
本当は〇〇をやりたいんだ。
そんなもんないよ。
どっちだって良い。
やりたいことがあるなら、やればいい。
今やれないなら、それをするために今できることは?
好きとか嫌いとかやりたいこととか、わからない。
そんな想いのあるものなんて見つからないよ。
そんな人も、今見つからないなら、見つけるために世界を広げること。
世界は広い。
自分が知らないことがまだまだいっぱいある。
私は今日、何だかよくわからないが、色んな人と繋がっている方とお会いした。
私が誰かの話を聞く時、その人の意見として聞く。
だから、私の話も、私の意見として、どう受け止めるかは受け取り手次第だ。
色んなお話を聞き、今の若い人は、男性は、そんな言葉が出ると、そうか、この方の周りの若い方、男性の方は、そういう方が多いのか、と思う。
世の中にはたくさんの人がいる。たかだか同世代の人、数千人にあったくらいで、世の中分かった気になりたくないなと、私自身は思っている。
その方が数千人の若い人、男性に会って言っているかはわからない。
ただ、今まで出会った人から統計した捉え方、は誰にでもある。
有名な方の本を読んでも、そうか、芸能界ではそういう若者が多いのか、そうか、この人の出会った会社員はそういう人が多いのか、と思う。
最近気づいたのだが、私が出会ってきた人の方が希少だったようだ。
なんてラッキーなんだろう。
何が言いたいかというと、誰にでも「固定概念」がある。
この固定概念は、自分の経験、知識から作られている。
経験の方なら説得力もあるが、例えばマスコミからの知識だけでの固定概念もある。
金持ち=悪代官みたいな感じかな。
実績、成果を出すと、確かに天狗になる人が多い。
だから、判断基準は「実績を作り続けている人」が一つある。
この変化の激しい時代、実績はすでに過去になる。
判断基準は「実績を作り続けていること」でしかない。
が、この実績もわからないことも多い。
一発屋、流行りや世間の流れに上手く乗っただけだと、数年で実績が乏しくなる。
自分の実績を人に伝えるということが多いが、再現性があり、本人が再現し続けているかがキーになる。
この理論で行くと、私は転職し続けてきたという実績と、これからまた新しい仕事を見つけるという実績を再現する予定だ。
転職者には、大事なことは伝えられるのではと思っている。
仕事につくという面でも、伝えられるのでは、と思っている。
本物を見分けるだけの経験と知識は、誰しも身につける必要がある。
自分を信じて行動するしかない。
失敗したと思ったなら、それは自分にとって違う判断だったのだと改めれば良い。
小さな失敗から、沢山たくさん学べばいい。
失敗すればするほど、自分の判断基準に自信が持てるようになる。
だから、行動して失敗することは、たいがいのことは是である。
今日お話を伺った方は、どうしたら若い人、男性にアプローチをできるかが知りたい様子だった。
スコブル面倒だな、私は絶対やりたくない、というニュアンスをふんだんに醸し出しながら、「捉え方のシフト」が必要だとお話した。
詳しくは話さない。
やる気のない人をやる気にさせるほど、面倒なものはない。
やる気のない人がやる気になっても、きっかけが私だと、何かあった時に私のせいにするのが関の山だからだ。
動物を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。
飲みたいと思わなければ、どこにいたって水を飲もうとはしないのだ。
この例えもなるほどと思った。
あとは、鳥とおじいさんだっけ?
あれこれ世話をしても、自分がいなくなったら死んでしまうようなことはしてはいけない。
行動はあくまでも自分の意思と想いからでないといけない。
理動という言葉はない。あるのは感動。
この話も大好きだ。
人は理屈で動かない。感じて動く。
理屈を理解して動く人もいる。理解するまで聞きまくる。
だけど、結局のところ、行動して感じないと人は学ばない。
動くのは、自分の人生だ、と私は思う。
行動することで、感動がある。
行動したことで感じ、動くのが心。
感情のない人生など、動かない心電図と同じだ。
随分と話がそれてしまった。。
「固定概念」は誰にでもある。
それを否定してはいけない。
その人が一生懸命に生きてきた中で得たものだ。
だけど、同じである必要はない。
その方の凄いところは、身を乗り出して私の意見を聞いていたことだ。
少なくとも一回りは年下の私の話を、だ。
加えて言おう。その方のように悠々自適に暮らせるような余裕はないし、実績もない、そんな私の話を、だ。
この素直さがどれだけ凄いかわかるだろうか?
その方の固定概念に大きく共感したのが、「男性より女性の方がフットワークが軽い」ということだった。
男性は、見栄やプライドが邪魔をする。
見栄やプライドよりも本当の素直さを持っている人だけがフットワーク軽く動くことができる。
この目まぐるしく動く社会の中で、リアルを取ることの重要性をどうしたらわかってもらえるだろうか。
見栄やプライドで止まっている時間などどこにもないのだ。
止まる分、先に進む人がごまんといるということは、認識しておいて欲しい。
認識していても、動くことに躊躇するのが人間だから、プレッシャーにして凹む必要もない。
私自身、価値観や考え方、捉え方を学ぶ前は、凹むだけで逃避して、一人旅や体験を沢山していた。
自分が見栄やプライド、プレッシャーで凹むことに素直になって何もしないことを選ぶか、前に進みたいという想いに素直になるか、だ。
「固定概念」は当たり前。
だけど、前に進むために自分の知らない知識、経験、考え方、捉え方を受け入れることも重要。
どんな想いがあってもなくてもいい。
まずは、行動。
こと働くことに関しては、この資本主義社会で、必ずしなければならないと思っている。
それは、正社員でもいいし、アルバイト、バイト、派遣、契約、委託、個人事業、共同事業、何でもいい。
もし、実家にまだいるというのだったら、いつまでも居候をしていないで、早く自立すべきだ。
今思うと早く出れば良かったと思うが、私は22年間も居候させて頂いた。
だから、22年は親を見守る必要があると思っている。
働いてから家賃は払っていたから10年以上は払っていたが、都内に来てからは誕生日旅行などでカバーしている。先日、父が逝去したので、仏壇費用、いつも通り飲食代は私がカバーした。父に関してはやりきった。
18歳から払っているから、踏み倒した家賃代としては18年で完済かもしれない(笑)
無賃で居候させて頂いた期間がどれだけあるか?
その分くらいは働らくべきだと、私は思っている。
何より、働くことで知らない世界を知れる。
これは、何よりの経験だ。
そこでどのように自分が感じ、動き、自分の世界、自分の仕事がどう動くか。
自分が大事にしていることが何か、考え続けるほどに見えるものがある。
何より、この資本主義の日本では、家賃以外も払うべきものが沢山ある。
私は今月、住民税と国民保険と国民年金で10万の請求がきている。
ふざけてるよね、税金(笑)
でも、日本にいる限り、何もしなくてもお金はかかる。
何より、誰のお役にも立たずに生きることなど、誰一人できない。
これはちょっとまた難しいので、置いておく。
想いのままに書いてしまった。
これを、ちょっとまとめられるようにならなければならない。
何がキーとして引っかかりましたか?
「想いは行為」
「固定概念」
「素直さ」
「理動でなく感動」
「実家に居候している年数(踏み倒してる家賃年数)」
「日本は資本主義社会」
これ、コメントでもらえるほど、私が知名度あればいいのに。
っていうか、一つずつ書けば、いいね数で統計取れるね。
行動して気づきました(笑)
どうしようかなぁー
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