「スマスマ」の裏でドラマを作って
ウチの連続ドラマの放送枠は「毎週月曜よる10時」。
つまり、1996年〜2016年高視聴率を獲得し続けた、フジテレビのお化け番組「SMAP✖️SMAP」の完全に「裏番組」だったのである。
周りから見ても、ウチの「ドラマ枠」、なかなか視聴率は取りづらいと見られていた。
フジテレビやTBSの様に、「ドラマ枠」を週に何枠も持っているテレビ局は「キャスティング」がしやすい。
俳優事務所としても、フジテレビやTBSに恩義を売っておけば、事務所のいろんな俳優をいろんなドラマでキャスティングしてくれるから。
そこで、ウチのプロデューサーたちが考えたのが、「ドラマの企画」を「時代を映し出したシャープな企画」に仕上げる事だった。
「企画」が魅力的だったら、俳優事務所も所属俳優を出したいだろう。
それでも、ドラマによっては「主役」が決まらず、二転三転四転する事もしばしばあった。
胃が痛くなる日々が続いた。
まずは、1996年1月クールのドラマ「オンリーユー愛されて」。
「SMAP✖️SMAP」が1996年4月に始まっているから、ギリギリ放送が被らない「最後のドラマ」だ。
それでも、「トップモデル(鈴木京香)と知的障害を持った青年(大沢たかお)の純愛」という「尖った企画」で視聴者の気持ちを惹きつけた。
「スマスマ」が始まり、1997年1月に放送されたのがドラマ「ストーカー 逃げきれぬ愛」。
「ストーカー」という「社会現象」をいち早く取り上げ、「ストーカー役」の渡部篤郎を一躍人気俳優に押し上げた。
続いては、1997年7月クールに放送された「失楽園」。
「大ベストセラー」のドラマ化と川島なお美の「神々しい真っ白なヌード」てとんでもない高視聴率を叩き出す。
1997年10月は「心療内科医涼子」。
主演は室井滋。
ドラマの世界で初めて、「心療内科」を舞台に「心の病」の世界を描いた。
1998年1月クールは中森明菜主演の「冷たい月」。
夫とお腹の子供を殺された女性の復讐譚。
中森明菜は「役」を狂気が乗り移ったかの様に演じた。
撮影現場でも結構大変だったらしい。
年が変わって、1998年7月クールは室井滋主演の「凍りつく夏」。
「家族」の中に隠された「DV」に焦点を当てた。
1998年10月は歌手の山崎まさよし主演「奇跡の人」。
主人公が「記憶喪失」になり、その記憶が戻って来るのか❓というお話。
1999年1月クールは、再び中森明菜主演の「ボーダー犯罪心理捜査ファイル」。
「犯罪心理学」に基づいて「プロファイング」するという、今では沢山あるジャンルの先駆け的作品だ。
中森明菜が体調を崩して、途中降板した。
1999年7月クールはアメリカのベストセラー作家、シドニー・シェルダン原作の「女医」。
主演は中谷美紀。
1999年10月はいしだ壱成主演の「ピーチな関係」。
企画・プロデューサーは木村元子。
日本版「セックス・アンド・ザ・シティ」を目指して、「男女7人夏物語」の脚本家・鎌田敏夫が書き下ろした。
鎌田敏夫さん、木村元子にかなり絞られたらしい(笑)
2000年4月は「永遠の仔」。
天童荒太の大ベストセラーをが中谷美紀主演でドラマ化。
テーマは「親からの(性的)虐待」。
続く2000年7月は安田成美主演の「リミット もしも、わが子が」。
テーマは「幼児人身売買」。
2001年に入って、1月クールが村上里佳子(現・RIKACO)主演の「別れさせ屋」。
当事者たちに分からない様に、「男女を別れさせる稼業」を描く。
4月クールは「Pure Soul 君が僕を忘れても」
主演は永作博美。
彼女は「若年性アルツハイマー」に罹り、徐々に恋人の記憶を失っていく。
後に韓国映画「私の頭の中の消しゴム」としてリメイクされた名作ドラマ。
7月には、あの脚本家・遊川和彦が企画・原案で参加した松下由樹主演の「フレーフレー人生!」。
そして、「東京制作部」が視聴率をなかなか獲らないので、「編成部」がプロデュースしたのが、2002年7月の異色作「私立探偵 濱マイク」、主演は映画と同じ永瀬正敏。
でも、視聴率はそれほど振るわなかった。
10月クール、「東京制作部」にプロデュースは戻り、仲間由紀恵主演の「ナイトホスピタル」。
「夜だけ診察している病院」を舞台にしたドラマ。
これも結構変わっている。
2003年になり、1月クール「写真週刊誌の編集部」を舞台にしたのが、真中瞳主演の「メッセージ 言葉が裏切っていく」だ。
4月はあの大物女優・桃井かおりを主演に迎えた「伝説のマダム」。
脚本の解釈を巡って、桃井かおりと監督・プロデューサーの間のやり取りがしばしば有り、長時間撮影が止まる事もあったという。
7月は「14ヶ月 妻が子供に還っていく」。
主演は高岡早紀。
「妻がどんどん若返っていき、遂に子供になり・・・」という不思議なストーリー。
そして、「スマスマ」の裏で長らく死闘を繰り広げてきたが、月曜よる10時枠、最後のドラマは「乱歩R」。
主演は藤井隆。江戸川乱歩の創造した名探偵・明智小五郎を演じる。
毎回、乱歩の名作を「大物ゲスト」を犯人に描いて行く。
このドラマの中には僕が「AP」「プロデューサー」「番組宣伝」で関わったものが多数含まれている。
収録スタジオは今は無き、「多摩スタジオ」。京王相模原線・京王堀之内駅から徒歩3分にあった。
「多摩スタジオ」は当時の社長が「税金」を国に納めるくらいなら、「収録スタジオ探し」に困っていたスタッフたちの為に建てたもの。
偉い‼️社長‼️
ドラマの収録が早く終わった時には、スタッフで近所の「韓国料理屋」に行き、焼肉を食べながら、マッコリを飲んだものだ。
建てられてから、取り壊されるまで、約10年。
多摩スタジオは、僕たち「ドラマ制作部」の「青春を送った場所」でもあった。
今は立派なマンションが建っている。
強敵、「スマスマ」も放送終了し、長い歳月が流れた。
いずれにしても、「死屍累々」「強者どもが夢の跡」である。
「キャスト・スタッフの汗」を忘れない為に、ここに書き記しておこうと思う。
そして、最近、「違和感」を感じている。
ウチの局でも、「深夜ドラマ枠」が増えているが、それを作る若いスタッフと話していたところ、「儲ける」というのが「ドラマの制作理由」というのである。
毎クール、毎クール、「赤字」を出してはいけないから、「企画」を考えるのが難しいという。
この考え方は「本末転倒」。
「ドラマの作り手」が面白いという「テーマ」を見つけて、面白がりながら作るからこそ、そのドラマはヒットするのである。
その結果として、「儲かる」。
なんか、「スマスマ」の裏でも「真摯にドラマ作りに向き合えたあの時代」はとっても貴重だったと思うのだ。