夜中に歩く巨大な動物

日本からは南回り、パキスタンの首都カラチで飛行機を乗り換え、パキスタン国際航空で18時間。アフリカ・ケニアに到着する。

僕が行った当時、ケニア入国にはコレラの注射を二回、黄熱病の注射を一回接種する必要があった。

首都ナイロビからセスナ機に乗って二時間、マサイ・マラ国立公園。サファリの真ん中にあるホテルに到着。

客室はしっかりした大きなテントの中の清潔なツインの部屋。そして、その「寝室テント」から30センチくらい開けて、「シャワーとトイレがある小さいテント」が建っていた。トイレも普通の洋式水洗トイレ。

二つのテントに分かれているのは、シャワーを浴びた時の湿気が寝室に入って来ない様にする為。

たくさんのテント状の客室から観光客はホテルの中心に位置する野外レストランへ歩いて昼食を摂りに行く。昼食はビュッフェスタイル。

ケニアは元々イギリスの植民地だった事、ヨーロッパからの移動距離が短い事などで、欧米からのツアー客が多い。

昼食はそれぞれのグループに分かれて食べる。僕はツアーでは無く、一人で行ったので、一人用のテーブル。

まずはビュッフェから骨付きの肉を取って来て食べる。食べ終わって、次の料理を取りにビュッフェに行く為に僕は席を立った。

その時、上空で旋回していたハゲタカが突然急降下。皿に触れる事無く、僕が食べ残した骨付き肉を咥えて急上昇した。それを見ていたレストラン中の外国人観光客たちから大きな拍手が湧き起こる。

何故、ハゲタカが僕のテーブルから肉を持って行ったか?他のテーブルはグループで、誰かがビュッフェ料理を取りに行っても、一人はテーブルに残っている。僕のテーブルだけが誰もいない瞬間があったのだ。それを遥か上空から見ていて、肉をせしめたハゲタカはとても賢かった。

夕食。同じレストランで食べる。昼食と違うのは、各テントにマサイ族の戦士が銃を持って迎えに来るのだ。

このホテルは、ケニアのサファリにある一般的なホテルと違うところがある。強い電気を流して、獰猛な野生動物をホテル内に入れない「有刺鉄線」が無いのだ。

客室からレストランの間で、観光客が猛獣に襲われるかも知れない。それゆえ、マサイ族の戦士が往復付いて来てくれる。彼らはちょっとした音にも反応し、音のした方向に銃口を素早く向ける。その度に僕は冷や汗をかきながらレストランへと向かった。

お腹もいっぱいになり、寝ていると、深夜トイレに行きたくなった。寝室側のテントのファスナーを開け、外に出てファスナーを閉める。そして、トイレ側のテントのファスナーを開け、中に入ってファスナーを閉める。

用を済ませ、トイレを出ようとした時、テントの外側を大きなものが擦る音がした。実際は小さな音だったかも知れないが、僕の想像は膨らんでいた。僕は立ち上がった便座に再び腰を下ろした。

「ライオン」「チーター」「象」「サイ」「カバ」。その得体の知れない大きな物体。しかもゆっくりテントの周りを動いている。

「寝室のテント」と「トイレのテント」の間は30センチ。僕は凍てつくアフリカの夜、一時間以上、冷たい便座に座っていた。「その音」が聞こえなくなるまで待とうと思った。

身体は凍え、息は白かった。日本から遠く離れたアフリカの地でライオンに襲われて死ぬ訳にはいかなかった。

どれくらいの時間が経ったことだろう。その音は聞こえなくなっていた。

それに気付いてから五分ほど待ち、二つのファスナーを素早く開閉し、寝室のテントにアタマから転がり込んだ。ベッドに横たわったが、いつまでも興奮は収まらなかった。

遠くで鳥の鳴き声がした。アフリカの大地に朝が訪れようとしていた。

翌朝、辺りが明るくなって、ホテルのフロントで訊くと、その音は「カバ」か「サイ」だと言われた。

僕は自然の中での「人間の存在の小ささ」を知った。僕たち人間が動物を観に来ているのではなく、動物が生きている場所に僕たち人間がお邪魔している事を。

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