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EXテレビosaka 最終回



1994年3月「EXテレビosaka」は最終回を迎えた。

「火曜日」が生放送、「木曜日」が収録だった「EXテレビosaka」。

「木曜日」の「最終回」の収録が先で、「火曜日」の生放送が「上岡龍太郎さん」最後の出演となった。

EXテレビosaka火曜・最終回



「火曜日」は「EXテレビosaka 火曜」で放送して来た「様々な斬新な企画、他のテレビ局買いませんか❓」という番組を生放送。

「EXテレビosaka」の企画から誕生した「開運!なんでも鑑定団」



この番組で買われた企画が今でも放送中のテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」なのである。

一方、「木曜日」の「最終回企画」は「EXテレビosaka 木曜」に何度も出演して頂いたタレントさんにお集まり頂き、何も無いスタジオに「超細長い掘り炬燵」を作って、ただただ「宴会」をするというもの。

その「宴会」を「8台のカメラ」で収録した。

ゲストは
「西川のりお」
「デーブ・スペクター」
「ひさうちみちお」
「山本集(故人)」
「大竹まこと」
「野坂昭如(故人)」
「岡部まり」
「光岡優」
「吉野ママ」
「横山ノック(故人)」
「山城新伍(故人)」
「戸川純」
「景山民夫(故人)」
「円広志」(紹介順・敬称略)

司会はもちろん、上岡龍太郎さん。

岡部まりさん
西川のりおさん
吉野ママさん
大竹まことさん
山本集さん
ひさうちみちおさん
円広志さん
横山ノックさん
景山民夫さん
野坂昭如さん
山城新伍さん
戸川純さん



22:00〜23:30の1時間半の収録だ。放送時間はその約半分。

料理は、日本料理「かが万」の提供してくれた。

収録は和気藹々のうちに進み、話題は4年間の「EXテレビosaka 木曜」の事で盛り上がった。

番組の最後には「ノックは無用!」の「魅惑の変身コーナー」の様に、「豪華商品」を「タイアップ」でかき集め、「抽選」で全てのゲストに当たるという「御礼企画」を用意した。

そして、スタジオの出口に「ハンディーカメラ」を一台待機させ、スタジオを出て行くゲスト一人一人に「短いコメント」をもらう。

最後は上岡龍太郎さんだ。

「次の番組が失敗に終わりますように!」

涼しげな顔をして、上岡さんはスタジオをあとにした。

上岡龍太郎さんらしい「愛ある言葉」だった。

ここまでが「以前も書いた事がある『最終回』に関しての顛末」だ。

スタジオ収録後、出演者の皆さんはメイクを落とし、場合によっては私服に着替えて、同じフロアにある「パーラー」でたむろする。

最後に「パーラー」に現われたのは上岡龍太郎さん。

もう時間は24:00を軽く回っている。

上岡さんは藤澤國彦チーフ・プロデューサーの方へと近づいて行った。

「〇〇は呼んであるんだろうな❓」

「〇〇」とは「ウチの重役の名前」である。

事の顛末は以下の通り。

「EXテレビ 火曜」の生放送の中で、上岡龍太郎さんはこう発言した。

「和歌山県の皆さん、和歌山には『視聴率調査機』が一台も無いそうです。だから、和歌山の人、この番組観なくていいですよ!」

もちろん、上岡龍太郎さんならではの「ウィットに富んだ笑い」を含んだ言葉だったのだが、「和歌山県の視聴者」から多数の抗議が「局」に来た。

それゆえ、「〇〇重役」は上岡龍太郎さんに、翌週の「EXテレビosaka 火曜」の生放送の中で「和歌山県の視聴者」に「謝罪」する事を命じたのである。

イヤイヤ、「謝罪」した上岡龍太郎さん。

「忸怩した思い」があっただろう。

「既存のテレビをぶち壊すというコンセプト」の下に生まれた「EXテレビosaka」。

上岡龍太郎さんを「番組MC」にキャスティングしたのも、「歯に衣着せぬキャラクター」であり、「どこか皮肉を込めて、様々な事象を斬る」ところに「番組制作陣」が強い魅力を感じたからに違いない。

僕は「EXテレビosaka」のスタート当時からのスタッフではないので、今となっては「藪の中」になってしまっている部分に関して、言及出来ない事もある。

しかし、上岡龍太郎さんは「最終回」の前週の「収録」の際、藤澤國彦チーフ・プロデューサーに「〇〇を『最終回収録』に呼んでおけ!」と告げた事はよく憶えている。

でも、考えてみると、上岡龍太郎さんの考え方が正しい気がする。

あれから30年経った今となっては。

「和歌山県の視聴者の皆さん、この番組観なくていいですよ!」

と言う上岡龍太郎さんの言葉を放送したのは「局」の責任だと僕は思う。

上岡龍太郎さんをキャスティングしたのは「局」なのだから。

「リスク」も「局」が負わなければならない。

「次週の生放送での謝罪」は「局のアナウンサー」がやるべき事で、上岡龍太郎さんに背負わせる事では無かった。

その事を上岡龍太郎さんは「EXテレビosaka」の「最終回」の収録後、「謝罪」を指示した「〇〇重役」に改めて、問い質したかったに違いない。

「EXテレビosaka」をもう卒業するのだから。

「総括」がしたかったのだと思う。

もちろん、藤澤國彦チーフ・プロデューサーは「現場の責任者」として、「上岡龍太郎さんの要望」を聞く事は出来ない。

上岡龍太郎さんは「〇〇さん」が来ていない事を知ると「キレた」、ブチブチに。

誰も止めようが無い。

「約束が守られなかった」のだから、当たり前だ。

そんな上岡龍太郎さんを「漫画トリオ」のリーダーで、上岡さんが敬愛している横山ノックさんと元・暴力団組長で、富士山の絵を描き続けている画家の山本集さんが両側から「羽交締め」にして、上岡龍太郎さんを引き摺る様にして、タクシー乗り場へと降りて行った。

引き摺られる上岡龍太郎さんの後ろ姿は淋しそうだった。

「上岡龍太郎さん」も昨年亡くなり、「〇〇重役」も数年前に亡くなり、二人とも故人。

「コンプライアンス」など全く無い時代の「人間同士の話」。

「EXテレビosaka」、「最終回」のディレクターを担当した僕。

もうあの出来事を目撃し、記憶している人も少ない。

「EXテレビosaka」の放送が終わって、30年。

この機に書き記しておこうと思う。

「テレビ」が「元気」だった時代。

僕は1983年4月に入社して、来年2025年3月に「テレビの世界」を卒業する。

「テレビの創成期」の雰囲気を色濃く残した時に「テレビ局」に入り、「東京・大阪の制作部」に20年、「東京宣伝部」にまもなく22年。

「物作りの工場」だった「テレビ局」を僕は愛し続けて来た。

正直、良いタイミングで「テレビ」から足を洗う。

「テレビ」からもらった「様々な経験」を使って、「新しいスタート」を切るには「最高のタイミング」だと今、強く感じている。

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