藤本義一さんと11PM
藤本義一さん(1933〜2012年・79歳没)。深夜のワイドショー「11PM」(1965〜1990年)の司会者。作家。脚本家。
僕はAD時代を含め、2年半ほど、「11PM」で一緒に御仕事を御一緒したが、「キレたり」「怒ったり」する姿を一度も見た事が無かった。
「木曜イレブン」は冬の時期、隔週で「地方の系列局」を回る。「地方局のディレクター」が作る「個性豊かな番組」にも上手くコメントをしておられた。
藤本さんのコメントはいつも「作家目線」だ。VTRからスタジオに降りて、藤本さんが30秒も喋れば、VTRの内容は巧みに咀嚼されて、「藤本さんの想像力」と共に、視聴者に伝わりやすくなっている。
早くスタジオ入りされた時は「メイク室」で「原稿用紙」を斜めに置き、モンブランの万年筆を使って、原稿を書いておられた。とても静かな佇まい。
藤本さんやゲストも加わって行なう「タレント打ち合わせ」の後は、局の隣にあるステーキハウス「ティジャ」でチーフ・プロデューサーと水割りを飲みながら待機。
吸われる煙草は「缶ピース」。かなり強い煙草だ。
「11PM」は生放送。24:30頃に番組が終わると、局の1階のロビーで「制作スタッフ」が藤本さんを囲んで「雑談」をする。
「今日の番組の感想」「来週以降の番組ラインナップの説明」、そして、「本当の雑談」。
藤本義一さんの中には、プロデューサー、ディレクター、ADの区別は無い。
AD時代の僕らも多少緊張しながらも、意見を言う事もあった。そんな時には素直に御自身の考えを忌憚無く言ってくれた。
先輩ディレクターが「藤本義一を解剖する」というテーマで番組を作った時、僕はADで「藤本義一さんの御自宅の取材」に同行した。
御自宅には、「東京の定宿にしている『ホテルオークラ』の部屋」と全く同じ部屋があった。同じ環境の方が原稿を書きやすいとの事だった。
芦屋の山奥には「全て木で出来たオシャレな別荘」をお持ちで、年に一回、「11PM」に関わる「系列局のディレクターとウチの局の制作スタッフ」が泊まり込み、藤本さんを囲んで「11PM」に付いて熱い議論を繰り広げた。
当時は、テレビの良き時代だったと思う。
藤本義一さんが亡くなって、西宮市で告別式に参列した時、僕には「藤本さんに対しての特別な想い」があった。
AD時代、リハーサルの対談コーナーでゲストの代わりに藤本義一さんと相対し、言った言葉。
「僕は将来、直木賞作家になりたいんです!」
僕は子供の頃から「作家」になりたかった。
この言葉を藤本さんは憶えていて、僕をとっても可愛がってくれた。
告別式で、藤本義一さんのダンディーな遺影を見ながら、降り頻る雨の中、僕は深々と祭壇に頭を下げていた。
未だに僕は「直木賞作家」に成れていない。