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篠崎安雄さん
日本テレビの篠崎安雄さんと仕事で御一緒したのは、まだ僕が「高校生クイズ近畿大会」のサブディレクターをやっている時だった。篠崎さんは番組全体のチーフ・プロデューサー。
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MCは福留功男さん。食べ物を出すクイズの前日の下見で、篠崎さんは出される食べ物を一つ一つ、真剣に味見されていた。さすが、元美術進行だ。
コロナ騒動が起こる前、篠崎さんと食事をする機会があった。定年退職を迎える前に、僕は諸先輩の話を聞いておきたかった。篠崎さんは当時75歳。
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日本テレビに入社してすぐ、篠崎さんは倉本聡企画、萩原健一主演の伝説的ドラマ「前略おふくろ様」に美術進行として付いた。現場の「美術」を取り仕切る大切な役割である。篠崎さんが作る料理をショーケン始め出演者は楽しみにしていたそうだ。
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そして、次に付いた番組が篠崎さんの運命を変える。「木曜スペシャル」である。
「木スペ」で「エジプトのピラミッド」を始め、様々なテーマの大型番組の美術進行を務めていた。
1977年、「木曜スペシャル」で始まったのが、「アメリカ横断ウルトラクイズ」。
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篠崎さんは美術進行として、第1回から付く事になる。
その働きゆえ、福留功男さんの推薦もあって、「美術進行」から「ディレクター」へと転身。
そして、篠崎安雄さんは「ウルトラ」のディレクター、プロデューサー、チーフ・プロデューサーと、17回目の最後の「ウルトラ」まで関わっていく事になる。
その間、「ウルトラチーム」は、1983年に始まった兄弟番組「高校生クイズ」を担当する。
新宿の寿司屋で4時間。僕は一言一句聞き逃すまいと耳を澄ませた。
シノさんは、誰に対しても分け隔てなく接してくれた。そんなシノさんが僕は好きだ。
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「アメリカ横断ウルトラクイズ」「高校生クイズ」、たくさんの人々の心に残り続ける番組である。
忘れることの出来ない新宿の夜だった。
二人で飲んだ「吉野寿司」もコロナ禍で閉店を余儀なくされた。